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家康公の立ちあがり石(5月10日)

小国神社第二鳥居横の「立ち上がり石」

小国神社は徳川家康公に深く縁のある神社である。以下、御由緒略記より~元亀三年(1572)徳川氏の目代・武藤刑部定が武田信玄に味方し甲斐の軍勢を招き当社にそむいた時、神主・小国豊前重勝は霊夢に感じ、子息千松麻呂を人質として徳川氏に訴えた。家康公は神主に命じて御神霊を別所に遷し、願文と三条小鍛冶宗近作の太刀を奉り、戦勝を祈願した後に、社頭に火を放ち全部の社殿を焼失した。その後、徳川方が勝を得て,天正三年(1576)家康公は家臣本多重次に命じて、先ず本社を造営、遷宮させ、次いで同十一年(1583)十二月七日天下平定の報賽として末社・拝殿・廻廊を造営、同十三年(1585)楼門を再建させた。慶長八年(1603)八月二十八日家康公は更に社領として五百九十石の朱印を奉った。

東京裁判開廷の日(5月3日)

昭和21年、67年前の今日、戦勝国側である連合軍が敗戦国・日本を裁こうとした東京裁判が開廷された。大東亜戦争と位置付けられたあの戦は、白人諸国に経済的に搾取され、愚民化政策を施されたアジア諸国を解放してしまった。特攻作戦まで決行しながら敢然と戦った日本は戦争目的のひとつを達成したのだ。東京裁判は、そういった日本に対する見せしめ、ショー的要素が強かったのである。そんなでたらめな裁判が開廷された同じ日に現在の日本国憲法は施行されたのである。http://blogs.yahoo.co.jp/x1konno/37758417.html

日本画家・横山大観(4月29日)

横山大観「或る日の太平洋」’昭和27年)

昭和27年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、祖国日本は主権を回復した。その61年後の昨日、憲政記念館にて国民大集会が開催された。http://www.youtube.com/watch?v=qvl0fh72WXQ (日本文化チャンネル桜) そして遡って61年前に、日本画家・横山大観は第37回院展に「或る日の太平洋」を出品した。”敗戦という形で太平洋戦争が終結したあと、日本画の置かれた状態はきわめて厳しいものであった。敗戦直後の状況はしばしば価値の転換あるいは価値の無政府状態という言葉で語られるが、そのひとつの現象が自由主義、民主主義の強調と、伝統的、国粋的思潮に対する徹底的な否定であった。戦時体制下において国粋主義的な潮流に支えられていた日本画が、戦後激しい批判にさらされたのはむしろ当然であったのかも知れない。
しかし華麗な画歴をほこる横山大観は、さまざまな批判にも動ずることなく、自らの姿勢を守り通した。彼は批判によって作風を転じなければならない理由を見いだすことができなかったし、現実問題として1945年の時点ですでに77歳の高齢に達しており、時代の潮流に対応しようとする気持ちも持ち合わせていなかったようである。逆巻く波涛の彼方に霊峰富士を望み、海中に龍をひそませた晩年の傑作《或る日の太平洋》は、戦いに敗れた祖国に対する老画家の屈折した思いと、時代の流れに抵抗する強固な意志が示されているように感じられる。” 
 


昭和の日(4月29日)

今日は、昭和の日である。昭和天皇は明治34年(西暦1901年)のお生まれである。生前は「天皇誕生日」(戦前は天長節)であったが、25年前の崩御後は、「昭和節」ではなく”みどりの日”と称されてきた。昭和の日に改正されてから今年で7年目である。現行の祝日法はGHQの占領政策(日本改造計画)の一環で昭和23年に制定された。戦前の日本の価値観はGHQの占領政策によって奇形的に改変された。祝日もそうである。例えば、「紀元節」(2月11日)は廃止され、「明治節」(11月3日、明治天皇のお誕生日)は何と、「文化の日」となった。11月23日の「新嘗祭」は「勤労感謝の日」に、といった具合である。世界で最も古い伝統を誇る国の文化を否定するなどという行為をたかだか200年の歴史しかない国がすること自体が、天に向かって唾するに等しい。

 


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