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安曇野ゆかりの先人(7月24日)

佐賀県目達原飛行場での上原良司氏

海洋の民である安曇族が移り住んだという安曇野。北海道の富良野、三重の能褒野などと並んで独特の甘酸っぱい響きがある。和音が聞こえてくるようだ。穂高神社に舟が祀られているのを見てもその来歴が伺われる。心惹かれる響きがある。言霊の作用ゆえんだろうか。安曇野市のホームページにはこの地の先人が数多く紹介されている。その中でマルクス主義歴史学者・羽仁五郎の著書「クロウチェ」を遺本とした特攻隊員・上原良司氏に行き当たった。以下、氏の所感である。~栄光ある祖国日本の代表的攻撃隊とも謂ふべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ身の光栄之に過ぐるものなきを痛感致して居ります

空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人が云った事は確かです

操縦桿を採る器械

人格もなく感情もなく勿論理性もなく、只敵の航空母艦に向って吸ひつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬのです

理性を以て考へたなら実に考へられぬ事で強ひて考ふれば彼等が云ふ如く自殺者とでも云ひませうか

精神の国、日本に於てのみ見られる事だと思ひます

こんな精神状態で征ったなら勿論死んでも何にもならないかも知れません

故に最初に述べた如く特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思って居る次第です

文化防衛の闘い(6月4日)

明智光秀像

5,6世紀に仏教や儒教が伝来し、途絶えることなく日本社会に受容されたが、キリスト教は結構険しい道を歩んできた。16世紀にポルトガル船によってキリスト教が伝わり、信長公もその布教活動に寛容であった。しかし、秀吉公によって発せられたキリスト教排斥の方針は家康公にも引き継がれ、第三代将軍の時代にはそれが徹底された。尋常小學国史には次のように記されている。~きりすと教の信者の中には、神社や寺をこはしなどして、わが國の美風をそこなふものがあって、その弊害が少なくなかったので、秀吉はキリスト教をさしとめて、教會堂をこはし、宣教師を國外に追出した。~ 神社仏閣を破壊するだけでなく、ポルトガル人は日本人を奴隷として売買したりもした。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連」が世界文化遺産に登録されたが、宣教師によるかつての狼藉のことなど一切不問のままだった。信長公は宣教師を擁護したのはビジネスのためだったのだろうが、今でいうところのグローバリストであったがゆえに、(日本文化防衛という大義で)明智光秀によって討たれたのだろう。
黒船来航(嘉永6年、1853)が大きな圧力となって日本の鎖国体制は溶解し、尊皇攘夷・開国佐幕の二つの対立軸がアウフヘーベンし、尊皇開国となり明治を迎えた。明治政府による欧化政策と共にキリスト教文化が流入し、先の大戦敗北によるGHQ占領政策によって日本の美風が破壊され続けているのである。
井伊直弼公(6月2日)

井伊直弼公肖像画

自宅から車で10分。浜松市北区引佐町。大河ドラマで一躍全国に名を馳せた龍潭寺という禅寺がある。至近の田園の中に井伊家祖霊廟があり、その一角に幕末の大老、桜田門外の変(万延元年、1860)で斃れた井伊直弼公の歌碑がある。~わき出ずる岩井の水の底清み曇りなき世の影ぞ見えつつ~ 大老に就任する7年前に(1851)ご先祖の墓参に見えた時に詠まれた歌である。井伊家初代の共保公の霊、そしてその時代のことを偲んだものであろう。第13代彦根藩藩主・直弼公は文武両道の人であった。居合の名人であり、國學・和歌・禅・茶道・能など学問修業を遂げた。その生涯は、船橋聖一の原作を基に「花の生涯」という大河ドラマとして描かれた。東京オリンピックの前年(1963)で、尾上松緑が主人公を演じたのをうっすらと覚えている。享年45歳。ちなみに、墓所は世田谷区の豪徳寺にあり、安政の大獄で刑死となった吉田松陰の墓所から1キロも離れていないのが不思議である。
天白磐座遺跡(6月2日)

今日の午後、思い立って引佐の方へ。謂伊神社に参拝し、その裏手上方の磐座へ。古代の祭祀場らしい。巨石信仰なのだろうが、三輪山(奈良県)や粟が岳(静岡県)など山上にあるのが多いかと思うが、ここは小高い丘の上ではあるが、平地と言ってもいい位だ。風の吹き抜けが心地良く、お祓いを受けているような感じである。また、すぐ近くを渓流が流れており、清めを感じる。日常空間から離れた異空間であり、清められ元気づけられるスポットである。
國民の覺悟(6月1日)

尋常小學國史教科書、昭和11年文部省刊

教科書がひどい。何も暴力を使わなくても自分たちの思うように日本を赤化出来る。そう考えたようだ。教育現場が彼らの意のままに操られたきた。将来の日本のリーダーとなる小中校生が通う学校がそのターゲットにされているという。おぞましい。昭和初期の國史の教科書を開くとホッとする。右の写真がその表紙である。巻頭に「御歴代表」があり、歴代の天皇様が一覧にされていて御在位年間は皇紀で記されている。以下、最終章の第54章より~[御歴代天皇の御盛徳]①遠い昔のことをふり返って見ると、まづ、天照大神は、かたじけない神勅を下したまうて、わが國の基をお定めになり、その後、神武天皇が、その御旨をおうけつぎになって、はじめて天皇の御位に卽かせられた。それ以来、萬世一系の天皇は、三種の神器を皇位の御しるしとして、萬機をお統べになって、絶えず國の為に大御心をかけさせられ、それのみか、もったいなくも、慈母のやうな御なさけで、いつもいつも萬民をおいつくしみ下さったのである。かつて龜山上皇は、御身をすてて國難に代らんとすたまひ、孝明天皇も、ひたすら國難を救はんことを祈らせられた。
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