文化・芸術イベントやアート・絵画イベントの企画・運営ならアートフォースM&Kにお任せください。日本を 

サイト内検索 ホームページ制作・スマホサイト制作・CMS サイト管理画面

トップページ > ブログ > 歴史

ブログ

5/15ページ 全部で74件中 21-25件を表示
日露戦争(5月27日)

進水する戦艦「三笠」

115年前の今日、我らが大日本帝国海軍はロシア帝国のバルチック艦隊を撃沈せしめ大勝利を収めた。快挙である。先の元旦には、乃木大将率いる陸軍は旅順港を陥落し、ロシアの戦艦が日本海へ出れないようにした。陸海相和しての連携プレーによりこの勝利を収めた。日英同盟(明治35年、1902)という側面支援も有難かった。海戦については司馬遼太郎の「坂の上の雲」がバルチック艦隊が遠路日本海まで航海する様子を細かく描写している。我国連合艦隊の旗艦は「三笠」で明治35年(1902)にイギリスのヴィッカース社で完成。右の写真は進水式のもので、日の丸がはためき、船首に菊の御紋が金色に輝いている。大日本帝国の戦艦にのみ菊の御紋があり、その大きさは靖国神社の入り口扉にあるものと同一である。完成した「三笠」を日本まで回航したのは秋山真之で、日本海海戦時の参謀を務めた。私の母校・松山東高校の前身である松山中学を卒業した郷土松山の先人である。日露戦争に勝利したことによって祖国日本は主権と領土を保持し得たのである。ちなみに、今日5月27日は戦前「海軍記念日」であった。そして、明けて明治39年(1906)、二宮尊徳翁の没後50年の年となり、大日本報徳社(掛川)では盛大な記念式典が開催された。尊徳翁の報徳仕法も対ロシア戦のための戦費調達に貢献したのである。
昭和の精神史(5月25日)

竹山道雄著「昭和の精神史」

浜松天王町の竹山家はこの地域のかつては大庄屋であったが、昭和20年の敗戦に伴うGHQの占領政策のため没落を余儀なくされた。大日本報徳社の第2代社長・岡田良一郎の室はこの竹山家から嫁いでいる。その三男純平氏が養子として竹山家に入り、その次男が「ビルマの竪琴」を書いた竹山道雄である。東大の独文科で、ニーチェの「ツァラツストラかく語りき」(Also sprach Zarathustra)の名訳本を出している。この竹山道雄氏が昭和31年に出したのが「昭和の精神史」で、ちょうど島倉千代子さんの「この世の花」がヒットしていた頃になる。あとがきに、こう書かれている。~どうしてああいうふしぎな戦争になったのだろう? 専門家の説明を讀んでも、實のところ納得のいかないところが多い。自分が経験した實感をはなれないということを頼りに、一私人が十年後に一まず考えをまとめてみたらこういうことになったというのも、あるいは意味があろうかと思い、自分のために書いた次第である。 発行されたのは、奇しくも64年前の今日5月25日である。
慶応から明治へ(令和2年5月15日)

函館戦争(明治2年)出征前の竹山謙三

旧暦ではあるが、152年前の今日、上野で東征軍(官軍)と幕府軍の戦(いくさ)があった。上野戦争である。この年の3月、東征軍の参謀・西郷隆盛と幕府側代表の勝海舟との会談が江戸城であり、「無血開城」と相成った。しかし、東征軍大総督・有栖川宮熾仁親王が江戸城に入城(4月17日)された後も幕臣の抵抗勢力「彰義隊」が結成された。この上野戦争には、遠州報国隊の隊員も従軍した。その中に浜松の大庄屋で神官の竹山謙三も名を連ねていた。この戦いで彰義隊は官軍によって鎮圧され、9月8日に元号が慶応から明治に改元された。
昭和の日(令和2年4月29日)

昭和天皇ののお誕生日。昭和20年までは天長節、その後天皇誕生日と改められたが、崩御になられた昭和64年の後はみどりの日となった。18年後の平成19年(2007)に紆余曲折の後「昭和の日」に改められた。その趣旨は以下の通リである。~激動の日々を経て復興を遂げた昭和の時代を顧み,国の将来に思いをいたす~ だがしかし、祝日や祭日は単なる休日と堕し、国旗をかかげているところは極まれである。
主権回復の日(令和2年4月28日)

横山大観作「或る日の太平洋」、昭和27年、135.0x68.5cm,紙本彩色、東京国立近代美術館蔵

昭和27年の今日4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し我が国は主権を回復した。沖縄が取り残されたままであったが、6年8か月の米軍占領から解放され国際社会への復帰に向けて大きく前進した記念すべき日である。正式名称は Treaty of peace with Japan 「日本国との平和条約」である。昭和26年9月8日、米国サンフランシスコ市で署名された。この日をもって連合国と日本国との間の戦争状態は終結し、「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認」した。連合国の原語は、英語ではAllied Poweredである。ところで、この年の9月に開催された第37回院展に横山大観は「或る日の太平洋」という作品を出展した。富士と龍を同一画面に描くという画題は、葛飾北斎の最後の作品「富士昇龍図」がまず頭に浮かぶ。鯉が瀧を昇って龍となり、さらに龍が富士山の上方高く天に昇ってゆく、というまさに「生成発展」のテーマを可視化したものが基本である。しかし大観先生はそのような構図では描けなかった。大東亜戦争中には、爆撃機2機「大観号」を陸軍に寄贈した国士である。敗戦の結果、GHQの占領政策として憲法改定を始め、国柄を改竄されるような政策に翻弄される祖国日本の情けない姿が太平洋の荒波にもまれる龍として描かれている。この解釈を以前、落選中の城内実氏の応援を趣旨とした講演会のため来浜された故・井尻千男先生に申し上げたことがある。氏は私の説明に耳を傾けられ「感動した!」と力強くおっしゃった。氏は当時拓殖大学の教授で、4月28日を「主権回復記念日」として祝日にしようという運動を牽引されていた。そのことを今思い出した次第である。
5/15ページ 全部で74件中 21-25件を表示