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ブログ

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いわゆる「東京裁判」は、戦勝国が敗戦国・日本を一方的に裁いた国際法違反の、いわば集団リンチであった。昭和21年5月から昭和23年11月までの2年半に及ぶ「裁判」の様子はGHQによってフィルム撮影されており、講談社創立70周年記念事業の一環として映画化された。4時間半に及ぶ長大な映画である。当初予定よりも完成が大幅に遅れ,作業開始から5年後の昭和58年(1983)6月の公開となった。小林正樹監督が大きな流れを構想し、編集の浦岡敬一氏がフィルムを繋いでいった。市ヶ谷の法廷の実写フィルムは50万フィートもあったという。
この映画が昨年から全国の劇場で上映されているという。
明治天皇と日露大戦争(令和2年5月17日)

対露宣戦布告前の御前会議、新東宝映画より

島倉千代子さんの「東京だョ、お母さん」をyoutubeで観覧中に、ガイド覧に何故か映画「明治天皇と日露大戦争」が案内されていた。制昨年を見ると、昭和32年、「東京だョ、お母さん」と同年であった。サンフランシスコ平和条約発効から3年経った昭和30年位からこれまでの来し方を振り返る気運が醸成されていた頃だったのだろうか?我が国が敗戦の焼け跡から立ち上がり、復興の槌音が全国で響いていたという時代背景があったのだろう。 
映画編集という仕事(2月2日)

フィルム編集中の浦岡敬一氏

先般亡くなった大島渚監督の作品の多くを編集した浦岡敬一先生は晩年を浜松で過ごされた。知己を得たのはちょうど14年前のこと、ある蔵のギャラリーで「黒澤明絵画展」を開催中のことだった。それがご縁でその2年後に同じギャラリーで「浦岡敬一の仕事展」をプロデユースさせていただいた。ご自身の仕事展に寄せられた氏の”ごあいさつ”文がなぜか昨日書類の間からひょろっと現れた。~映画は生病老死、喜怒哀楽を表現するものだと言いますが、私の映画生活は、その通り人間を見つめ続けて来た日々でした。それは、フィクションのドラマに心をぶち込んで過ごした50年でもありました。どの作品にもある主義主張を明確に表現するためには、編集という作業は、単にフィルムをつなぎ合わせればいいものではなく、理論に沿って構築された映像表現芸術であらねばなりません。~日本映画編集協会設立に携わり、初代の理事長に就任、編集という仕事の社会的地位の向上に尽力された氏の言葉は重い。今頃は、天国で大島渚監督となごやかに談笑されていることだろう。
映画ポスター展(2月1日②)

美空ひばり主演「伊豆の踊子」ポスター

日本で有数の映画ポスター収集家・中川研一氏(静岡県磐田市在住)が浜松市内でコレクションを公開しているという。アクトタワー近くの香爐(*)という喫茶店が会場である。今日一日限りの”美空ひばり主演映画”のポスター12枚の公開である。名前を知っているのは「伊豆の踊子」や「花笠道中」くらいであったが、今となってはそれぞれが希少価値である。店内は大きなソファがいくつもあり、50席ほどを擁する懐かしい雰囲気の高級喫茶店である。ブレンド・コーヒーも美味しかった。ちょうど磐田から来ていた中川氏と久しぶりにしばし歓談。このような地味で堅実な活動をしている人者がその地域の文化を底支えしているのだ。 *浜松市中区板屋町522 電話:053-413-1131 駐車場5台分有り
今日は長崎に原爆が投下された日である。広島への投下から3日後、別の種類の原爆が実験された。ドイツには投下しなかった核爆弾を、黄色人種の国・日本に投下した。人種差別である。「八月のラプソデイー」とは、黒澤明監督の作品のタイトルだ。核をテーマにした作品をもう二作、黒澤監督は作っている。「生き物の記録」と「夢」である。
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