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太平洋ひとりぼっち(令和4年6月6日)

海洋冒険家・堀江謙一氏が二度目の太平洋単独無寄港横断に成功した。しかも、史上最高齢の83才での快挙である。。一度目は丁度60年前の昭和37年(1962)、堀江氏が23の時であった。その翌年に早くも石原裕次郎を主役にした「太平洋ひとりぼっち」という映画が出来ている。今日そのDVD(Digital Versatile Disc)を観た。配給は日活であるが、そのロゴはいたって陳腐である。
俳優陣には懐かしい名前が連なっている。森雅之(父親)、田中絹代(母親)、ハナ肇(高校のヨット部の先輩)、大坂志郎(ヨットの設計者)、芦屋雁之助(船大工)、それに妹役が浅丘ルリ子である。監督は市川崑。音楽に武満徹と芥川也寸志の二人を起用し、心理描写と情景描写をうまく分担させていることに刮目した。そこに気鋭のただならぬ創造意欲を感じた。
この映画は、昭和38年(1963)1月に設立されたばかりの石原プロダクションによる制作第一弾だったのである。なるほどと合点。石原裕次郎はただの映画俳優ではなかった。兄の慎太郎氏の芥川賞受賞作「太陽の季節」で端役としてデビューし、「狂った果実」で主役を演じて以来数多くの作品に出演したが、ありていの通俗的なものに辟易していたという。そんな折、堀江謙一氏の原作に出会い、創作意欲を駆り立てられたのだろう。自身がヨットマンだったことも大きな要因である。ある意味、堀江氏の太平洋横断達成が石原裕次郎の映画人としての活路を拓いたと言えるだろう。



ウェスト・サイド・ストーリー(令和4年2月15日)

自宅からちょうど一里のところに東宝シネマを擁するサンストリートというショッピングセンターがある。今日は[ひとつになれない世界]で生まれる夢、そして愛というキャッチフレーズの「ウエスト・サイド・ストーリー」を観た。
筋書は昭和45年に視た「ロミオとジュリエット」を下敷きにしたものだ。舞台をイタリアのヴェローナからアメリカのニューヨークに移し、音楽は二ノ・ロータからレナード・バーンスタインにバトンタッチされている。一種の転生である。哀切極まる愛の物語と切実な移民問題がるつぼとなり、スクリーン上で描かれていた。名作として永遠に残るであろう。
映画編集の匠・浦岡敬一(令和3年9月18日)

ありし日の浦岡敬一氏、袋井のギャラリーシルエットで,1999年

今からちょうど20年前、「映画編集の匠・浦岡敬一展」を開催した。会場は、入野町のギャラリー蔵だった。磐田の中川研一氏が集めた
浦岡敬一氏が編集した映画のポスターを中心に、台本、諸資料、編集機材などを並べた。地元浜松だけでなく東京からも浦岡さん縁の方々がお見えになり、盛況を呈した。会場入り口には、浦岡さんが昭和58年に編集を完成させた「東京裁判」のポスターを展示した。そのポスターの上に飾ったのが、以下の浦岡敬一氏による「ごあいさつ」である。
~昭和34年、私は小林正樹監督作品『人間の条件』六部作の編集者に抜擢され、平成4年鈴木清順監督作『結婚』までの33年間をフィルムエディター(映画編集者)として挑戦の日々を送ってきました。ー途中略ー  映画は生病老死、喜怒哀楽を表現するものだと言いますが、私の映画生活は、その通えい人間を見つめ続けて来た日々でした。それは、フィクションのドラマに心をぶち込んで過ごした50年でもありました。どの作品にもある主義主張を明確に表現するためには、編集と云う作業は、唯単にフィルムをつなぎ合わせればいいものではなく、理論に沿って構築された映像表現芸術であらねばなりません。そういった意味合いからも、一緒に仕事をさせて頂いた大島渚、篠田正浩、中村登、山田洋次、左幸子、実相寺昭雄、杉田成道、これらの監督が自由に任せてくれたのは、私にとって至上の喜びでした。すばらしい監督、スタッフ、俳優に人間としての生き方を教えて貰った人生でした。映画編集に対する疑問にどれだけ克明に御説明できるか、会場にて誠心誠意対応するつもりです。平成13年5月18日(金) ~

仰げば尊し(令和3年9月2日)

かつて卒業式の時に歌われた曲である。映画の中にも使われている。惜別の歌である。「二十四の瞳」(昭和29年、木下惠介監督、壷井栄原作)や「ビルマの竪琴」(昭和31年、市川崑監督、竹山道雄原作)など。日本の歌100選に入っているようだ。そもそもは、明治17年に出来た文部省唱歌である。
1.仰げば尊し 我が師の恩 教えの庭にも はや幾年
思えばいと疾し この年月 今こそ別れめ いざさらば
2.互いに睦し 日ごろの恩 別るる後にも やよ忘るな 
身を立て名をあげ やよ励めよ 今こそ分かれめ いざさらば
3.朝夕馴れにし 学びの窓 蛍の灯火 積む白雪
忘るる間ぞなき ゆく年月 今こそ別れめ いざさらば

なお、日清戦争後より大東亜戦争終結までの約50年間我が国の統治国だった台湾では今でもこの歌は卒業式の時に斉唱されているようである。






映画ポスター展(令和3年9月1日)

木下惠介作品「二十四の瞳」のポスター

22年前の2月、寒さも極まった頃だった。その前年の9月に亡くなった黒澤明監督の関連の展覧会を企画、開催した。映画「影武者」と「乱」の絵コンテによるリトグラフ版画を中心に画家としての黒澤明にスポットを当てたものだった。会場はオープンしたての西区のギャラリー蔵。映画編集の第一人者・浦岡敬一氏とはここで出会った。そして、映画ポスターのコレクターお二人との出会いがあった。袋井のM氏は黒沢明作品を中心に、磐田のN氏は木下惠介作品を中心に集めていた。お二人の協力を得て「黒澤明・木下惠介映画ポスター展」の企画が誕生した。浜松の天神蔵ギャラリーでは弊社の主催で、天竜の中央図書館では天竜市の主催で開催された。
天竜の方では主な作品の(DVDによる)上映会も開いた。木下監督の「二十四の瞳」の上映の時は観客はたった一人だった。中止にしようかと思ったが、懇願されてまた遠くから見えたということもあり上映に踏み切ったものだった。
昭和29年の作品で、まだモノクロの時代である。黒沢監督の方は、「七人の侍」が封切された年だった。朝鮮戦争が終わり、自衛隊が結成された年でもあった。またその2年前にはサンフランシスコ講和条約が発効し我が国が主権を回復していた。


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