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おにぎり弁当(令和4年9月25日)

ギャラリーのすぐ近くに「はせがわ」という窯炊きのご飯を使ったお握り屋さんがある。今日のランチは右の写真の「二つ握り弁当」。
おかずに、ごぼうの煮しめ+沢庵+鶏肉唐揚げが付いている。
窯炊きのご飯はふっくらとして美味しい。魚屋さんが仕出し料理を手掛けたりするのに似て、お米屋さんが開いた店である。店内では当然日本各地から仕入れたお米を玄米の状態で売っている。無農薬・有機栽培のものもある。お惣菜の店の知久屋さんや「食と健康、環境保全」を政策の三本柱の一つとする參政党のことが念頭に浮かんで来る。
今日は秋分の日(令和4年9月23日)

早朝に森町の小國神社に参拝。雨が少し降っていたが、林立している杉の大木がちょうど良い雨避けになるため傘を差さずに長い参道を歩いた。人影はまばらである。戦前は「秋季皇霊祭」という国家の祭日で、歴代の天皇や皇族の神霊を祀る祭儀の日であった。昭和23年に「秋分の日」という国民の祝日として公布・施行された。「祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ」となっている。敗戦により日本の伝統文化はGHQの占領政策によっていじられ破壊された。占領期間中にその国の法体系を変更してはならない。国際法違反である。わずか250年の歴史しかないアメリカが、というよりもアメリカの民主党政権がそうしたのである。いわゆる東京裁判により我が国の軍人軍属が裁かれたが、原爆や東京大空襲によって多くの民間人を殺傷したアメリカこそが戦争犯罪人として裁かれなくてはならない。
宮中孝霊殿で、またここ小國神社でも午前10時より「秋季皇霊祭」が執り行われた。
自然科学者ゲーテ(令和4年9月22日)

ゲーテ自筆によるプリズムとルーペ、そして自身の右目のスケッチ

ドイツの詩人ゲーテ(1749-1832)が自然科学者であったことはあまり知られていない。自分自身、大学のゼミはドイツ文学だったが、そんなことは教わらなかった。Y社の海外駐在員としてドイツ在住時(1978~1986)にヴァイマール(当時は東ドイツ)でゲーテ記念館を訪れ、そこでゲーテの鉱物コレクションを見てあれっ?!と思った位なのである。
色彩論においてゲーテはニュートンを超えたらしい。ミクロコスモスからマクロコスモスへ。19世紀の終わりごろにゲーテ全集が編纂された時、自然科学者ゲーテの項を担当したのが人智学者ルドルフ・シュタイナー(1861~1925)であったことはゲーテの功績を正当に評価したという意味で象徴的なことであった。人智学とは粗っぽくとらえらば神智学と民俗学とをアウフヘーベンしたものである。科学と宗教と芸術の融合、合一を目指し、スイスのドルナッハにその活動拠点がある。ゲーテに敬意を表してゲーテアヌムと名付けられている。

櫻の葉散る(令和4年9月16日)

小さくはあるが、我が家には10坪ほど庭があり、15年ほど前に山桜の苗木を植えた。今はもう大きく育ち、高さ8メートルほど、幹回りは80㎝ほどになっている。花が咲くのは遅く、例年4月の下旬となる。それも最初の8年ほどは蕾がつかず、咲かずば切ろうかな、と言ったらその翌年から少しずつ蕾も増えていった。
開花の様は二階から眺めるのが良い。落ち葉はまた茜色できれいだ。最近は毎朝掃いている。ご近所の方に飛び散った落ち葉も掃いている。
映画界の巨匠・黒澤明監督24年前の1998年9月に88才で亡くなった。アートフォースM&Kという屋号でスタートし、蔵ギャラリーでのコレクション展を焼津→掛川→浜松→松本と巡回し終わったすぐ後のことだった。
翌年2月に黒澤監督の側近だったK氏のご協力を得て、「画家としての黒澤明」という展示会を開催した。1990年にパリの劇場で封切されたばかりの「夢」を見た。黒沢映画を観たのはそれ1回だけだった。あとはビデオで見るしかなかった。
「影武者」と「乱」の絵コンテをリトグラフにしたものをK氏が所蔵されており、それをお借りした。監督が亡くなった直後のことにて大勢の黒澤ファンが押し寄せた。会場は生涯で32本の作品を作った黒澤談義に花が咲いた。
いろんな方との出会いがあり、そのうちのお一人が映画編集の第一人者で映画「東京裁判」(1983年)を編集した浦岡敬一氏だった。

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