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戦国武将の陶人形(3月17日)

蔵の2階に居並ぶ戦国武将の陶人形()追平藤吉作

陶人形師・追平陶吉氏。昭和15年豊川市に生まれる。79才の現在も制作に取り組んでいる。武将像の表情には鬼気迫るものがある。激し過ぎるのでは?という声もある。これまでに書かれた武将の肖像画は皆おだやかな顔であるが、どうなのだろう実際は?こんな例がある。二宮尊徳翁に仕えた笠原某の以下はコメントである。
「みなさん大黒さんのような顔で描いてらっしゃるが、実際はきつい表情のお方でした。」
以下の戦国武将像が並ぶ。以前はきつさを抑えるために眼を閉じていたが、今回展示の近作は目を開いている。
①織田信長 ②明智光秀 ③柴田勝家 ④加藤清正 ⑤伊達政宗 
そして、屋根裏部屋のような蔵の二階には、達磨、七福神より布袋,恵比寿、笑う鬼童子なども並んでいる。色付けもしっとり感があって味わいがある。

西洋名画の模写(3月16日)

J.フェルメール「絵画の技法」(積木節雄模写、F40)

模写絵師・積木節雄氏。昭和11年堺市生まれ。ヤマハに勤務の傍ら、中年期より名画の模写に取り組む。日本には数少ない模写専門の絵師の一人で、ほぼ独学の匠である。フランス印象派が中心であるが、今回フェルメールも2点並ぶ。うす暗い蔵の空間に次の9点が並ぶ。
①フェルメ―ル「青いターバンの少女」8号 ②フェルメール「絵画の技法」40号 ③セザンヌ「三ヴィクトワール山」15号 ④ユトリロ「コタン小径」 ⑤ルオー「街角のキリスト」⑥ゴーギャン「赤い花と乳房」⑦マネ「フォリーベール劇場のバー」⑧ドガ「婦人像」
⑨クレー「ガラスのファッサード」

パロディ笑刻(3月15日)

会場入口を飾る①明星観音(40年前制作)②リョーマの休日③志村けんさん縁の「アイ~ンは勝つ」

作者は岩﨑祐司。75才、焼津市在住である。30代より木彫を始め、当初は仏像や観音、童地蔵などを彫っていたが、独自性を出そうということで、27年前に「そんなバナナ」を制作。友人に見せたところ、受けが良かったので、気をよくし、以来コツコツと彫り続けた。現在何と300点に達したという。
見る人を和ませ、クスクスと頬が緩む。声を出して笑ってしまう。時には爆笑。心のもやもやがその瞬間さっと晴れる。リセットされる。代表作は、「リョーマの休日」(右写真)。映画「ローマの休日」に因んで、ローマを(坂本)龍馬に言い換えた。言葉で説明しただけで、聞いた相手から笑いが取れる。22年前の作品であるが、7,8年前に高知県の観光キャンペーンに盗用されるほど有名になった。痛しかゆし、である。これをもじった「いたちかゆし」という作品も生まれた。立ち上がったイタチが孫の手で背中を掻いているユーモラスな作品である。旧豊岡村の「花咲乃庄」が先般コレクション、売店の一角に飾られ、来場者の心を和ませている。

「独学の匠三人展2021」始まる(令和3年3月14日)

会場の「ギャラリー蔵」、日本武尊に名前の由来を持つ雄踏街道沿いに立つ

「独学の匠三人」とは、
①パロディ笑刻(木彫)の岩崎祐司氏(75才、焼津市在住) ②名画模写(油彩)の積木節雄氏(83才、浜松市在住)  そして③陶人形の追平陶吉氏(79才、新城市在住)である。壮年期から始めて独学で独自のジャンルを確立したという経歴を持つ。
7年前に小國神社(静岡県森町)で一度開催したことがあるテーマで、今回の会場は浜松市内の「ギャラリー蔵」である。このギャラリーは1997年に創設され、今年25年目に入った。オープン初期の頃「黒澤明絵画展」(1999年2月)など7回ほどお世話になった。最後が「映画編集の匠・浦岡敬一展」(2001年5月)だったので、実に20年振りである。古巣に帰ったような感じである。
本日、初日を迎えた。中日新聞の取材が入った昼頃、雨が激しくなり、蔵空間の魅力が一段と強く感じられた。
関岡英之著「国家の存亡」②(3月12日)

世に出て10年となる関岡英之著「国家の存亡」(PHP新書)

一昨年5月、ノンフィクション作家の関岡英之氏が亡くなっていた。そのことが公になったのは昨年の1月中旬だったので、死後8か月も経っていた。行年僅か58才。関岡氏がキャスターを務めていた日本文化チャンネル桜の番組でその訃報に接した。
亡くなる7年前、つまり2011年5月にPHP選書から「国家の存亡」という重厚なタイトルの本を出しておられる。「まえがき」や「あとがき」はその年の3月に発生した東日本大震災の直後に書かれている。以下、その「あとがき」より。
~ 平成改元以来、日本は「改革」の名の下に「米国主導の日本改造」を粛々と受け入れてきた。平成元年に始まった日米構造協議で、日本は米国から要求された大規模店舗規制法の緩和を受入れた。その結果、町なかの零細小売店はあらかた淘汰され、全国各地の駅前商店街はシャッター通りと化し、我が国の地域社会は取り返しのつかないまでに破壊し尽くされてしまった。.....
①金融機関を直撃の貸し渋りによって多くの中小企業が経営破綻に追い込まれ、多くの国民が職場や家庭を失った。
②企業の長期的な安定経営や、真面目な勤労者の堅実な人生設計が不可能事となった。
③膨大な非正規雇用やワーキングプアが生まれ、我が国の中流層を崩壊させて貧困層へと没落させた。そして年間3万人を超える国民が  自ら命を絶つ状況が既に13年継続している。
平成の開国は、改革の名の下に犯してきた数々の愚行を、こんどは開国の名の下に推し進めようということに尽きる。

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