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ブログ

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慶応から明治へ(令和2年5月15日)

函館戦争(明治2年)出征前の竹山謙三

旧暦ではあるが、152年前の今日、上野で東征軍(官軍)と幕府軍の戦(いくさ)があった。上野戦争である。この年の3月、東征軍の参謀・西郷隆盛と幕府側代表の勝海舟との会談が江戸城であり、「無血開城」と相成った。しかし、東征軍大総督・有栖川宮熾仁親王が江戸城に入城(4月17日)された後も幕臣の抵抗勢力「彰義隊」が結成された。この上野戦争には、遠州報国隊の隊員も従軍した。その中に浜松の大庄屋で神官の竹山謙三も名を連ねていた。この戦いで彰義隊は官軍によって鎮圧され、9月8日に元号が慶応から明治に改元された。
太地喜和子追悼番組(令和2年5月9日)

志村けんさんが今年3月30日に亡くなった。日本中のお茶の間に笑いを届けた偉大な演劇人だった。その志村けんさんの大ファンだった女優太地喜和子さんは平成4年に48歳の若さで亡くなっている。その前年の正月にお二人はテレビ対談をしている。当時見逃していたその番組を喜和子さんの追悼番組という形の中で、実に28年後の今、志村けんさんの死の機会にYoutubeで見ることが出来た。これは実に楽しい番組である。この対談をきっかけとして、お二人はその後何回か共演されている。それらもこの追悼番組の中で紹介されているが、実に楽しい!お二人の相乗効果によって見事なコントとなっている。初顔合わせから2年も経たない裡に運命が二人を引き離したのだ。
佐藤一斎(令和2年5月8日)

佐藤一斎の肖像画。渡辺崋山画。

佐藤一斎は、江戸後期を代表する儒学者で、二宮金治郎(尊徳)の同時代人である。この人なくして明治維新はなかった、といわれるほど數多くの英才を育てた。佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠、中村正直など。年代的には、西洋で言うとヘーゲルやベートーヴェンらとほぼ同年の生まれである。美濃国岩村藩の藩士の子として江戸で生まれた。生年’安永元年(1772)~没年;安政6年(1859)。教えの系譜を辿ってゆくと、江戸初期の儒学者・伊藤仁斎に繋がる。一斎の随想録「言志四録」は西郷隆盛の座右の書であった。東京大学の母体となった昌平坂学問所も塾長を務めた。

新潟の酒(令和2年5月5日)

栗原瑠璃華作のワイングラスと「寒中梅」

米どころ新潟の酒はうまい。雪深い国の人の情が濃いからでもあろう。3月末に武漢コロナウイルスによる肺炎で急逝した志村けんさんと女優太地喜和子さんの対談番組の中で「雪中梅」という新潟の酒が披露されていた。近くのショッピングセンターで早速見つけたつもりであったが、よく見ると「寒中梅」だった。我ながらの慌てぶりだ。夕刻に庭の緑陰に癒されながら小ぶりのワイングラス(栗原瑠璃華作)で楽しんだ。香しく品のある味わいだった。「雪中梅」を探す楽しみが出来た。話は戻り、けんさんと喜和子さんの対談はとても楽しかっ
た。平成4年に伊東市で事故死した喜和子さんの追悼企画だった。
今日は「みどりの日」(令和2年5月4日)

杉苗をお手植えになられる昭和天皇、昭和41年、愛媛県

かつては4月29日が「みどりの日」であったが、この日が「昭和の日」と改まったのに伴い5月4日が「みどりの日」となった。廃止されるのではなく、生き残った。4月29日が昭和天皇崩御後「天皇誕生日」改め「みどりの日」となったのは、昭和天皇が全国植樹祭の行事に永年臨席されたことによるのであろう。侍従次長であった掛川ご出身の河合弥八氏の「戦争で荒れ果てた山河を緑で一杯に」という提案でスタートし、昭和25年を第一回とした。私の郷里・松山では昭和41年4月、第17回が開催された。、当時は合併前で愛媛県温泉郡久谷村といった。全国に先駆けて「文教村宣言」をした村である。杉苗3本を森の形に植えられた天皇陛下は「久谷村を緑に染めにし時おしも楽しみにして杉植えにけり」という御製をお詠みになられた。今年は第71回植樹祭が今上陛下最初の同祭お出ましとして予定されていたが、武漢コロナウイルスの感染拡大防止のため急遽取り止めとなった。残念極まりない事である。
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