自然に即した生き方が長寿の秘訣のようだ。献立例 2)は:麦飯+アマダイの生干+かくや香物(たくあん、なすのぬか漬け)+あつめ汁(八丁味噌上澄み仕立、里芋、ごぼう、しいたけ、麩、大豆を具にしている) あと、家康公が愛飲された薬用酒がある。浜松名物で、かつては
参勤交代の大名が土産に競って買い求めたようである。戦後すたれてしまっていたが、7年前に「遠州夢倶楽部」という酒店の有志が、研究・試行錯誤の末に復活させた。それを家康公が祀られている久能山東照宮(静岡市駿河区)に奉納する企画をしたことがある。
http://www2.wbs.ne.jp/~lamp86/nindou.html
そして、今年の秋、その忍冬酒が装いも新たにリニューアルされた。聞けばなんと、この家康公の健康術を企画した”びぶれ浜松”と遠州夢倶楽部とのコラボだという。不思議なつながりを感じた次第である。
http://inasa.pos.to/yume/
ブログ
戦国時代を終焉させ、のちの260年に亘る平和な社会、文化熟成の基礎を築かれた徳川家康公は75年の長寿を全うされた。静岡新聞社発行の”びぶれ浜松”(今年9月8日号)にその健康術が紹介されていた。~普段の食事は天下人とは思えないほど質素。山のものや海のものをバランスよくとりいれた料理を食べていたそうです。また、旬のものを大切にし、季節外れの食材を口にすることはありませんでした。~
献立例 1)麦飯(低カロリーで食物繊維が豊富)+とろろ汁(青のりかけ、固い麦飯の喉ごしを良くする)+イワシ丸干し(血流を良くするDHAやEPAが豊富)+つる菜のくるみ酢和え+きゅうり納豆(陣中食として重宝された浜名納豆を
使用)
http://www.vivere.jp/special/special/post_14.php
献立例 1)麦飯(低カロリーで食物繊維が豊富)+とろろ汁(青のりかけ、固い麦飯の喉ごしを良くする)+イワシ丸干し(血流を良くするDHAやEPAが豊富)+つる菜のくるみ酢和え+きゅうり納豆(陣中食として重宝された浜名納豆を
使用)
http://www.vivere.jp/special/special/post_14.php
今日はスイスの画家パウル・クレー(1879-1940)の誕生の日である。絵を描くばかりではなく、ワルター・グロピウスという建築家がドイツのヴァイマールに創設したバウハウス学校の教授も務めた。同僚にカンデインスキーやファイニンガーもいたのではなかったか。ある時からナチスに睨まれてドイツから故郷ベルンに戻った。この町は、スイスの首都でありながら空港がないというドイツ語圏の変わった町である。、そこで後半生を過ごし、多くの作品を制作した。絵画の中に文学的また音楽的要素が入り混じる、いわば総合芸術的な作品を産み続けた。6年ほど前にはクレー作品の40%(約4,000点)を収蔵する専門の美術館が建てられた。イタリアの建築家エンゾー・ピアノの設計による
パウル・クレー・センター(Zentrum Paul Kleee)である。
http://www.myswiss.jp/jp.cfm/culture/museums/offer-Museums-ArtMuseums-215825.html
この作家は日本でもとても人気が高い。具象よりも抽象がが多いのであるが、色彩のリズムがいいのと、また頭で作品を観る傾向の強い日本人の知的好奇心にも応えてくれるからだろう。バイオリンの名手でもあったらしく、それが画業にもいい形で作用しているのだろう。
* 日本パウル・クレー協会に是非ご入会を! http://www.paul-klee-japan.com/
パウル・クレー・センター(Zentrum Paul Kleee)である。
http://www.myswiss.jp/jp.cfm/culture/museums/offer-Museums-ArtMuseums-215825.html
この作家は日本でもとても人気が高い。具象よりも抽象がが多いのであるが、色彩のリズムがいいのと、また頭で作品を観る傾向の強い日本人の知的好奇心にも応えてくれるからだろう。バイオリンの名手でもあったらしく、それが画業にもいい形で作用しているのだろう。
* 日本パウル・クレー協会に是非ご入会を! http://www.paul-klee-japan.com/
旧天竜市の春野町に日火防の神様を祭る秋葉神社の総本山・秋葉山本宮秋葉神社がある。標高890メートルのほぼ頂上に鎮座する。
今日は夜10時から火祭りがあるというので、自宅を8時過ぎに出発。ふもとから神社まで約8キロ、曲がりくねった山道をどんどん昇っていった。後続の車が追い上げてくるが、どんなに頑張っても時速40キロだった。車を降りると冷気が襲ってきた。コートと毛糸の帽子のおかげで
防寒はほぼ出来たが、足元がかなり冷えてくる。夜景がきれいだった。手水舎で柄杓を持つと、柄がぬるぬるしている。凍っているのだった。開始まで少し時間があったので、食堂でかき揚げうどんを食べた。エビが大きく、美味かった。寒いだけに格別に有難かった。9:30から
放水が始まり、9時45分から手筒花火が始まった。これは火祭りの露払いみたいなものだろう。朱色の火花を見ているとお祓いを受けているようだった。10時に河村宮司を先頭に神官の方々が拝殿に上がられ、神事が始まった。下の神楽殿では朱色の装束を着けた神官による
奉納の踊りが始まった。極寒の中での作法を淡々とこなしている様は誠に頭が下がるほど凜としていた。四方に矢を放ち、邪が祓われた。
11時頃、本殿の奥から万年炎が運ばれ、火祭りの本番が始まった。身を刺すような冷気の中で炎が舞った。火の神がお出ましになったのだ。火は災いをもたらしもし、また人の役にも立ってくれる。踊りの所作は”ひょんどり”にも似ているので、無病息災、五穀豊穣の祈りも
込められているのだろう。寒い中ではあったが、貴重な体験であった。駐車場に戻る途中でいただいた熱い甘酒がまた有難かった。
今日は夜10時から火祭りがあるというので、自宅を8時過ぎに出発。ふもとから神社まで約8キロ、曲がりくねった山道をどんどん昇っていった。後続の車が追い上げてくるが、どんなに頑張っても時速40キロだった。車を降りると冷気が襲ってきた。コートと毛糸の帽子のおかげで
防寒はほぼ出来たが、足元がかなり冷えてくる。夜景がきれいだった。手水舎で柄杓を持つと、柄がぬるぬるしている。凍っているのだった。開始まで少し時間があったので、食堂でかき揚げうどんを食べた。エビが大きく、美味かった。寒いだけに格別に有難かった。9:30から
放水が始まり、9時45分から手筒花火が始まった。これは火祭りの露払いみたいなものだろう。朱色の火花を見ているとお祓いを受けているようだった。10時に河村宮司を先頭に神官の方々が拝殿に上がられ、神事が始まった。下の神楽殿では朱色の装束を着けた神官による
奉納の踊りが始まった。極寒の中での作法を淡々とこなしている様は誠に頭が下がるほど凜としていた。四方に矢を放ち、邪が祓われた。
11時頃、本殿の奥から万年炎が運ばれ、火祭りの本番が始まった。身を刺すような冷気の中で炎が舞った。火の神がお出ましになったのだ。火は災いをもたらしもし、また人の役にも立ってくれる。踊りの所作は”ひょんどり”にも似ているので、無病息災、五穀豊穣の祈りも
込められているのだろう。寒い中ではあったが、貴重な体験であった。駐車場に戻る途中でいただいた熱い甘酒がまた有難かった。
あの浮世絵の巨匠・葛飾北斎や歌川国芳が捕鯨図を描いている。実に美しい。アメリカのかつての捕鯨は灯りを得るための鯨油が目的オンリーだったため、それ以外は捨てるばかりだったという。それに対して、我が日本国は鯨の捕獲後、食用ばかりでなく工芸品の素材としても利用するなど、”もったいない” ”有難い”の気持ちで鯨とつきあっている。供養をし、石碑までも建てている。日本人の心根は美しい。自然との一体感を生きているからだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8D%95%E9%AF%A8%E6%96%87%E5%8C%96