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シュタイナーの色彩論②(10月29日)

ルドルフ・シュタイナーによるパステル画(複製、40年程前にドルナッハで購入)

シュタイナーにおけるこうした赤色の体験は悪や罪に対して現れてくる。「神の怒り」の体験であり、これがさらに高揚して「祈り」にいたる時、赤色の体験は無限に求められたことになる。これに対してオレンジ色の体験は赤のように人間を単に罰しようとするのではなく、人間に内的な力を与えようとする。赤色によって人間が「祈り」を学ぶように、オレンジ色によっては事物の内的本質を認識しようとする「憧れ」を学ぶ。黄色の体験は人生の創造的な発展の出発点に立っているような感情を見る人に与える。緑色の体験によっては人間は力強く健康になるが、内面的にはエゴイスティックになるように感じられる。そして青色の体験によってはこうしたエゴイズムを克服し、献身的なものを発展させることによって「神の慈悲」が感じられるようになる。~ 以上、上松祐二著「ルドルフ・シュタイナー」(パルコ出版、1980年)より。この本に挟まれていたメモに「1982年4月7日 横尾忠則氏より贈呈される。(成城のご自宅にて)」とある。
シュタイナーの色彩論(令和2年10月28日)

ルドルフ・シュタイナー(1861ー1925)、1900年頃

以下再び「ルドルフ・シュタイナー」(上松祐二著、パルコ出版、1980年)より ~色彩を精神的なものの感覚界へのあらわれとみたシュタイナーは、ゲーテの「色彩の感覚的・倫理的作用」を高く評価しつつ自らの色彩論を発展させたということができる。
その一例を挙げるならば赤色は生命の輝きであり、黄色は精神の輝き、青色は魂の輝きであった。そして黄色の本性は中心が濃い密度を保ちながら周辺に向けて薄くなるように放射し、青色の本性は周辺が濃い密度を保ちながら中心に向かって薄く遠ざかるように収縮してゆく。赤色はその中間であって、中心も周辺も均等な広がりをもっている。個々の色彩体験についてはゲーテがそれを要求しているように、眼をその色で取り囲み、その他の色を全く排除してその色と同化できるならば、その時その色彩体験は倫理的体験を呼び起こす。(つづく)

ゲーテの色彩論②(10月28日)

ゲーテの色彩環

ニュートンはプリズムを使った実験によって虹の七色を取り出すことが出来た。そこで彼は白光の中にそれぞれの波長をもったすべての色彩が集中していると結論したのである。しかしこれは抽象の中の抽象であり、ゲーテはこれに対して色彩は光と闇の相互関係から生まれてくると直感した。つまり光を通して見た闇が青であり、ーーこれが日中の空は何故青いのか、の解明になっているーー闇を通して見た光が赤であり、--これが闇=雲に映える映える夕焼けと朝焼けが何故赤いかということの解明になっているーーその他すべての色はこのこの光と闇の相互作用によって生まれてくる晩年の画家ターナー(1775ー1851)がゲーテの色彩論にどれほど親しんでいたかは、ロンドンのテート・ギャラリーにある1843年の2枚の絵《影と闇(ノアの洪水の夕)》と《光と色(ゲーテの色彩論)》を見れば明らかであろう。モネやピサロの印象派にいたる道はすでにそこに開かれていた。

ゲーテの色彩論(10月28日)

ゲーテ78才の時の肖像画(1828年)

以前(1979年)、当時東ドイツのヴァイマールにゲーテ記念館を訪れた時、ゲーテ自身による鉱物の採集標本を見たことがある。ドイツの文学者ゲーテは、自然科学者でもあったのだ。そのことを発見したのは、ヴィーン工科大学時代のルドルフ・シュタイナー(1861-1925)だった。21歳の時、「ゲーテ自然科学論文集」を編纂し『ドイツ国民文学』に序文と解説を書いている。色彩論はニュートンも手掛けているが、ゲーテはそれの上を行ったようである。以下、上松祐二著「ルドルフ・シュタイナー」(パルコ出版、1980年)より、~ 近代の自然科学にとっての色彩とは「光のエーテルの波動」であって、シュタイナーのいう生きた色彩の世界とは全くかけ離れたものである。もっともこのことはすでにゲーテにによって見事に指摘されていた。ゲーテは1810年の当時すでに、最も科学的と考えられていたニュートンの色彩論を謎誤に満ちた「古き城塞」と呼び、これに徹底した批判を加えたのである。
神智学という思想運動(10月27日)

ブラヴァツキ―夫人(1831ー1891)

本棚からふと抜き取った冊子の表紙を見ると、高橋巌先生のご講演(1999年2月27日~28日、札幌)内容を収録した「人智学」第22号であった。『神智学』を読む、というタイトルが付いている。神智学協会は、近代オカルティズムの母と言われるブラヴァツキ―夫人(1831ー1891)によってニューヨークに創設された。以下、上記「人智学」誌より、~神智学協会の本部をボンベイに移すと同時に、自分もボンベイに移住し、仏教徒に改宗します。そこで、神智学の用語を基本的にはヒンズー教の概念にするのです。例えば空間と言わないで、アーカシャーと言ったり、霊我と言わないで、マナスと言ったり、そういう言葉でヨーロッパに衝撃を与えるのです。「東洋にこんなすごい思想があるじゃないか。キリスト教を東洋に輸出してどうするのだ」、と主張するのです。それによって、当時の帝国主義全盛期の植民地化政策に真っ向から反対する思想運動を展開したのが、神智学なんですね。シュタイナーは、その神智学協会のドイツ支部長に就任してから、ブラヴァツキ―とは反対に、ひたすらヨーロッパにとどまって、ヨーロッパ精神を内部から改革しようとします。その記念碑的な試みが、この『神智学』です~
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