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ブログ

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大日本帝国憲法(6月6日)

いわゆる「長州五傑」の一人で初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文は、ほかの誰よりも「洋行」を重ねた。一回目は文久三年(1863),
その年の始めに師の吉田松陰の転葬を高杉晋作の名代で果たした後だった。横浜を出港、上海経由でロンドンに渡った。その時はわずか一年の滞在だった。二回目は明治4年(1871)、岩倉遣欧使節団の一員として、3回目は明治15年(1883)、憲法事情調査の為だった。随行員に後の元老・西園寺公望がいた。ベルリンでは成果なく、北ドイツ生まれの法学者で当時ヴィーン大学に奉職していたローレンツ・フォン・シュタイン教授からドイツ憲法を参考にすべし、との助言をもらった。大日本帝国憲法は、明治22年(1889)2月11日に公布されたが、内容的には井上毅の意向(フォン・シュタイン教授の提唱する法制の考え方に反対の立場)が反映されたという。井上毅は二宮金治郎(尊徳)の生涯・業績・思想を記した「報徳記」(富田高慶著)を熟読し、死の病に臥せっていた時にも妻に読ませ病苦を和らげていたという人物である。

武力を使わない戦争の形(6月5日)

スイスは永世中立国である。しかし、何もしない訳ではない。国家としての主権・独立を守るためにいわゆる「日頃の備え」を怠ってはいない。ミリタリー・サービスが義務化されており。また非常時の食料備蓄にも怠りがない。外国人がスイスに帰化する場合の条件も非常に厳しい。以下、祖国スイスが他国に乗っ取られないために国民に発している侵略の手口に関する注意喚起文である。
・第一段階:工作員を政府の中枢に送り込む。
・第二段階:宣伝工作。メディアを掌握し、大衆の意識を操作。
・第三段階:教育現場に浸透し、「国家意識」を破壊する。
・第四段階:抵抗意識を徐々に破壊し、平和や人類愛をプロパガンダとして利用する。
・第五段階:テレビ局などの宣伝メディアを利用して、自分で考える力を奪ってゆく。
・第六段階:ターゲットとする国の民衆が無抵抗で腑抜けになった時、大量植民。





文化防衛の闘い(6月4日)

明智光秀像

5,6世紀に仏教や儒教が伝来し、途絶えることなく日本社会に受容されたが、キリスト教は結構険しい道を歩んできた。16世紀にポルトガル船によってキリスト教が伝わり、信長公もその布教活動に寛容であった。しかし、秀吉公によって発せられたキリスト教排斥の方針は家康公にも引き継がれ、第三代将軍の時代にはそれが徹底された。尋常小學国史には次のように記されている。~きりすと教の信者の中には、神社や寺をこはしなどして、わが國の美風をそこなふものがあって、その弊害が少なくなかったので、秀吉はキリスト教をさしとめて、教會堂をこはし、宣教師を國外に追出した。~ 神社仏閣を破壊するだけでなく、ポルトガル人は日本人を奴隷として売買したりもした。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連」が世界文化遺産に登録されたが、宣教師によるかつての狼藉のことなど一切不問のままだった。信長公は宣教師を擁護したのはビジネスのためだったのだろうが、今でいうところのグローバリストであったがゆえに、(日本文化防衛という大義で)明智光秀によって討たれたのだろう。
黒船来航(嘉永6年、1853)が大きな圧力となって日本の鎖国体制は溶解し、尊皇攘夷・開国佐幕の二つの対立軸がアウフヘーベンし、尊皇開国となり明治を迎えた。明治政府による欧化政策と共にキリスト教文化が流入し、先の大戦敗北によるGHQ占領政策によって日本の美風が破壊され続けているのである。
紫陽花ブルー(6月3日)

散歩途中に植栽に結構気を使っているお宅を見かけます。種類も沢山ですが、今は紫陽花が旬ですね。。梅雨に入り、雨が降っているともっと風情が出てくるでしょうね。これからが楽しみです。本物はもちろんいいですが、描かれた作品、例えば日本画家の栗原幸彦先生の作品「額紫陽花」は素晴らしいです。お寺の天井画としても描かれており、栗原先生の作品は龍梅寺(浜松市中区天神町)や龍翔寺(浜松市北区引佐町)で見ることが出来ます。天井画を見上げる姿勢はちょっとしたストレスもリセットしてくれるような気がします。「空を仰いで深呼吸」するとスッキリし、気持ちも前向きになったりしますが、それと同じような効果があるかもしれません。
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