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5月3日という日(令和3年5月3日)

今日は憲法記念日で祝日であるが、我が家ではこの日は国旗を掲げない。今の憲法はGHQが占領期間中に押し付けたもので、屈辱ものである。あの悪名高き東京裁判が開廷した日でもある。日本破壊のための時限爆弾が仕掛けられた呪われた日である。それを忘れてはならない。
そんな日に迎えた「コレクション展:HANA2021」の初日であった。午前8時ごろ自宅を出て約40分で小國神社に着く。会場近くを宮川が流れ、緑が溢れている。爽やかで清々しい美わしの五月である。
小國神社展の会場設営(5月2日)

キルトアート作品コーナー、徳嵩よし江作

今朝早く起きて二宮神社(祭神:二宮尊徳)の清掃作業に参加しようと思っていたが、明日から始まる「コレクション展:HANA2021」の準備の段取りの関係で行けずじまいとなった。残念であった。
昨日既に栗原幸彦先生及び門下生の方の日本画作品15点を展示していたので、今日はシルクスクリーン、キルトアートほかである。午前10時ごろ小國神社に到着。展示会場のすぐ近くに宮川という小川がながれていて、そこはもう新緑に溢れていて清々しい。緑のカーテンである。このような環境に包まれて展示会を開催できることに有難さを感じる。
今回の出展作家の活動拠点別構成は、遠州3名そして信州3名となっており、両地域の文化交流という見方も出来る。壁面にキルトアート作品を飾り、会場の中央部にパーテイションを組み立てて安曇野SKY版画工房のシルクスクリーンを飾った。形が整ったのは午後7時過ぎで、何やかやで会場をでたのはその1時間後だった。いよいよ明日が初日である。



「コレクション展HANA2021」(令和3年5月1日)

立て看板の作成

今日から5月である。かつて暮らしたことのあるドイツ(ハンブルク)では、4月末に必ず雪嵐が荒れた。そして「美しの5月」を迎えた。緑が溢れ、鳥がさえずり、まさにこの世の春が現出するのである。シューマンの歌曲集「Dichtersliebe詩人の恋」の中の「Im wundershoenen Monat Mai美しの五月に」やマーラーの交響曲「大地の歌」の最終楽章『Abshied別れ』を思い出す。そして忘れてならないのは日本の歌「早春賦」である。それらを頭の中でリフレーンしながら今月3日より始まる「コレクション展HANA2021」の準備に勤しんだ。
午前中は小國神社参道入口や会場近くに置く立て看板作りをした。A3サイズのプリント27枚を張り合わせる作業である。一つ作るのに約1時間を要する。午後は日本画家の栗原幸彦先生のご自宅に作品10点をお借りしに伺った。

そして「昭和の日」(令和3年4月29日)

今日29日は、かつての「天長節」、戦後は「天皇誕生日」、そして昭和天皇崩御に伴い「みどりの日」に改められた。そして、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」という趣旨で平成18年(2007)より「昭和の日」となっている。今朝は7時頃に玄関先に国旗を掲げた。あいにくの雨模様である。ふと町内で何軒位国旗を出しているだろうか?と思った。いつだったか、1500軒ほどある町内を隈なく調べたことがある。我が家を入れてたった5軒であった。
「みどりの日」という抽象的な名称は、今また勢いを増している皇室破壊の動きとリンクしていると推測する。それが改められた時はどなたが首相であったか?誰あろう、内閣官房長官を経て第90代内閣総理大臣に就いた安倍晋三氏であった。
午後、森町に鎮座する小國神社に参拝。掛川から見えたお二人の方と宮司様をお訪ねした。長居をしてしまい、天竜を経て帰宅した夕刻には雨足が激しくなった。そして、所用で市街地に出かけた7時過ぎからは豪雨に近くなっていた。「昭和の日」に相応しい雨の降り方であったかも知れない。
主権の回復?(令和3年4月28日)

横山大観「或る日の太平洋」、昭和27年

69年前の今日、「日本との平和条約」(Treaty of Peace with Japan)が発効した。調印式はその前年に米国サンフランシスコ市で行われた。その正文は英語・フランス語・スペイン語で、日本文は英語からの和訳である。今年の9月8日にこの調印式が古希を迎える。
大東亜戦争中に陸軍に零式戦闘機2機を寄付した画家がいた。水戸藩士の子として生まれた横山大観その人である。大観がサンフランシスコ平和条約発効の年に制作した絵があるという。そのことを3年前に亡くなってしまった日本画家の鳥居禮先生から教わった。その絵は不忍池の畔に建つ横山大観記念館の2階にあった。掛け軸ではなく、額装され畳の上に斜めに置かれていた。その絵を見た時身動きが出来なくなった。釘付けになった状態で20分ほど立ちつくしたのである。小國神社で「鳥居禮展」を開催した頃であるから、今から11年前の事である。
鳥居禮先生は横山大観を尊敬されていた。富士の作品を描くときにも、その作風には大観先生へのオマージュが強く感じられた。国士であられた。占領下にたった8日間で創られた今の憲法の破棄→自主憲法制定もままならず、そのため北朝鮮に拉致された横田めぐみさん始め数多くの被害者を連れ戻すことも出来ないでいる。そして、我が国固有の領土であるはずの尖閣諸島(沖縄県)は今やChinaの支配下に置かれた状態となってしまった。主権が回復されていない状態が今もなほ続いているのである。
サンフランシスコ平和条約が発効した4月28日を国民の祝日にしようと運動された人物がいらした。拓殖大学名誉教授で日本文化研究所所長を務められた井尻千男先生(1938-2015)である。浜松で一度お目にかかったことがある。講演会のあとの懇親会の席上であった。大観先生の「或る日の太平洋」のコピーを見て頂きながらその制作の背景をご説明申し上げた。井尻先生は一言「感動した!」と力強くおっしゃられたのである。持参していた先生の著書「日本再生」~一国一文明の気概を~にサインをしていただいた。2006.7.21と記されてある。

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