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「森岡の家」のこと③(9月23日)

座敷小屋裏の棟札

右の写真は平野又十郎邸の上棟時の棟札である。紀元二千五百四拾七年 明治貮拾年四月五日 の日付と施主名(六代目 平野又十郎)、棟梁の名前(掛塚村 鈴木勇次郎)が書かれている。平野邸の調査報告書をまとめられた常葉大学の土屋準教授(当時)の撮影である。明治19年に焼失したため、建て替えられたのである。以下、報告書のエッセンスである。~ 遺構の中心となる「座敷」は、1889(明治22年)に竣工した近代和風建築である。「座敷」は観賞用の庭園と一体で、きわめてよい状態を保っており、明治期の接客空間を伝えている。主要構造部、室内の各所はもとより、外壁腰壁の板に至るまで、きわめて厳選された良質の材料を用いて、丁寧な施工がなされており、これが120年以上を経ても、当初材にほとんど損傷がないことにつながっていると見られる。.....銘木、唐木をを用いながら、上品に節度を保っている。欄間や付書院等の細部にも、職人の技が散りばめられている。.....以上から考えて「座敷」は、遠州地方における記録(上棟・竣工年、建設者、建設費)の確定できる優れた近代和風住宅の作例として重要である。.....旧平野家住宅は、これらの建造物群(座敷、長屋門、蔵、中門および板塀、裏門および塀)が一体で残っており、近代初頭に力をなしたこの地方の有力者の住宅の景観をよく伝え、貴重である。~ この調査は、浜北区選出の太田康隆市議の指示により市民部文化財課が建築史的、文化史的価値を明らかにするためおこなったものである。
森岡の家のこと②(9月23日)

「森岡の家」座敷での意見交換会、平成26年(2014)9月23日

6年前の9月13日、浜松報徳館(中村雄次館長)で「森岡の家」問題が公にされ、後の保存運動団体「森岡の家市民の会」の母体となった。その10日後に貴布祢の現地で見学会が催され、早速邸内の座敷で有志による意見交換会が持たれた。「伐採は大変な文化的損失だ」「旧浜北市は植木の街として知られ、緑を大切にする文化があったはず」など邸内の黒松やイチョウの巨木伐採案に厳しい意見が飛び交った。
「森岡の家」とは、遠州の渋沢栄一と呼ばれる平野又十郎(嘉永六年~昭和3年)が明治22年に建てた邸宅で、当時入手できる最高の部材が使われている。遠州一の腕前の大工の棟梁が建てた。そして、平野又十郎は二宮尊徳の報徳思想に基き「同心遠慮講」という貯蓄組合を作り、地域の経済と文化振興に尽力、近くの薬師堂と共に自分の屋敷をその活動の場とした。つまり、般若心経で云うところの「色」(目に見えるもの)としての①邸内の樹木郡 ②邸宅・建築物、そして「空」(目に見えないもの)としての③報徳活動を
通じての社会貢献、これら三つが「森岡の家」が擁する文化的価値なのである。のちに長男の繁太郎氏から旧浜北市に保存することを前提に1993年に寄贈された時、その土地の字名が「森岡」であったため、「森岡の家」と称されることとなった。
「森岡の家」のこと(令和2年9月23日)

旧平野邸「森岡の家」の黒松、撮影:H26.9.13 8:00 am

「森岡の家」とは、遠州の渋沢栄一と言われる実業家・平野又十郎(嘉永六年 1853~昭和三年 1928)が明治22年(1889)に建てた邸宅の呼称である。土地の字名に因んでいる。右の写真は、その屋敷に植えられた黒松の巨木群である。敷地約1300坪を擁するこの「森岡の家」が壊されるようだ、という具体的な話を知ったのは平成26年(2014)9月12日(金)、西遠連合報徳社の個人社員仲間のKN氏からだった。お昼を食べようと思って入った中沢のうどん屋で彼に出くわしたのがきっかけだった。この年の春から友人と二人で保存活動をしていたらしい。もっと大きな運動にした方が良いと考えて、翌日の報徳社の常会の席で社員の皆さんに「森岡の家」存亡の危機について説明したら?と提案した。右の写真は翌13日の早朝に撮り、その足で元城の浜松報徳館に向かった。彼ら二人は用意したパネルで手際よくことの次第を説明、報徳社理事長の中村雄次氏に保存運動のリーダーになっていただけることとなった。保存運動が個人レベルから組織レベルへと拡大していったのである。以下の文章は、「郷土愛について」と題されていて、ひくまの出版が大正十二年(1924)に刊行した『土のいろ』の巻頭言で、宇波耕策という人が書いている。保存運動のスピリッツなるものをここに感じた次第である。「事物を深く理解することがやがてその事物を愛する基礎となる。郷土を愛しようとするものは郷土というものを深く理解しなくてはならない。現代人に欠けているものは郷土に対する理解である。その精神生活が盆栽の樹のように委縮して伸びないのは、郷土に対する理解という根が小さく絶たれてしまひ、従って郷土愛から来る所の愉悦の滋味で以て精神を養ふことが出来なくなってをり、伝統の泉から湧く力と信念との眞清水を以って精神の渇を潤すことが出来なくなっているからである。この精神をしてゆたかな滋味とうるほひを十分に摂取せしめ、さうしてみづみづしく枝葉が繁茂しつつ、亭々として雲を衝くやうな大樹に成長させなくてはならない。
秋分の日(9月22日)

今日を境に昼と夜の時間の長さが逆転し、冬至に向かって日の勢いが下り坂となる。戦前は「秋季皇霊祭」という祭日で、歴代の天皇や主たる皇族の霊を祭る宮中祭祀で大祭であった。明治11年の「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」改正により祭日となったが、大東亜戦争敗戦後の昭和23年の「国民の祝日に関する法律」では「秋季皇霊祭」は廃止され、新たに「秋分の日」として祝日となった。神道の力を削ぐためのGHQ占領政策の一環として「祭日」ではなくなったのである。国体(国の体質)破壊の一例である。
地域の集い(令和2年9月20日)

衆議院議員・城内実氏をお招きし、地元有志による座談会を開催した。午前中降っていた雨も昼過ぎには上がり、午後4時からMH氏宅の庭先で予定通りの青空集会となった。城内代議士よりコロナ対策を始めとする国政報告を約30分伺った。質疑応答の時間もお取りいただき大変充実した集会となった。以下、直近の城内実ブログより~新型コロナウイルスで疲弊した日本経済、国民の生活をいかに立て直していくかが喫緊の課題です。東京一極集中を是正し、地方活性化を進めることは経済再生に直結するものです。「国民のために働く菅内閣」のもと、地方活性化、国民を守るコロナ対策に尽力してまいります。~ 会場での感染防止策として、①各自マスクの着用、受付での②アルコール消毒 ③体温測定、④ディスタンスのある座席配置などにきっちりと対応した。
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