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徳川家康公の健康術(12月19日)

献立例 1)

戦国時代を終焉させ、のちの260年に亘る平和な社会、文化熟成の基礎を築かれた徳川家康公は75年の長寿を全うされた。静岡新聞社発行の”びぶれ浜松”(今年9月8日号)にその健康術が紹介されていた。~普段の食事は天下人とは思えないほど質素。山のものや海のものをバランスよくとりいれた料理を食べていたそうです。また、旬のものを大切にし、季節外れの食材を口にすることはありませんでした。~
献立例 1)麦飯(低カロリーで食物繊維が豊富)+とろろ汁(青のりかけ、固い麦飯の喉ごしを良くする)+イワシ丸干し(血流を良くするDHAやEPAが豊富)+つる菜のくるみ酢和え+きゅうり納豆(陣中食として重宝された浜名納豆を
使用)
 http://www.vivere.jp/special/special/post_14.php



パウル・クレー(12月18日)

パウル・クレー「パルナッソス」(1934年)

今日はスイスの画家パウル・クレー(1879-1940)の誕生の日である。絵を描くばかりではなく、ワルター・グロピウスという建築家がドイツのヴァイマールに創設したバウハウス学校の教授も務めた。同僚にカンデインスキーやファイニンガーもいたのではなかったか。ある時からナチスに睨まれてドイツから故郷ベルンに戻った。この町は、スイスの首都でありながら空港がないというドイツ語圏の変わった町である。、そこで後半生を過ごし、多くの作品を制作した。絵画の中に文学的また音楽的要素が入り混じる、いわば総合芸術的な作品を産み続けた。6年ほど前にはクレー作品の40%(約4,000点)を収蔵する専門の美術館が建てられた。イタリアの建築家エンゾー・ピアノの設計による
パウル・クレー・センター(Zentrum Paul Kleee)である。
  http://www.myswiss.jp/jp.cfm/culture/museums/offer-Museums-ArtMuseums-215825.html
この作家は日本でもとても人気が高い。具象よりも抽象がが多いのであるが、色彩のリズムがいいのと、また頭で作品を観る傾向の強い日本人の知的好奇心にも応えてくれるからだろう。バイオリンの名手でもあったらしく、それが画業にもいい形で作用しているのだろう。
     * 日本パウル・クレー協会に是非ご入会を! http://www.paul-klee-japan.com/

秋葉山本宮の火祭り(12月16日)

旧天竜市の春野町に日火防の神様を祭る秋葉神社の総本山・秋葉山本宮秋葉神社がある。標高890メートルのほぼ頂上に鎮座する。
今日は夜10時から火祭りがあるというので、自宅を8時過ぎに出発。ふもとから神社まで約8キロ、曲がりくねった山道をどんどん昇っていった。後続の車が追い上げてくるが、どんなに頑張っても時速40キロだった。車を降りると冷気が襲ってきた。コートと毛糸の帽子のおかげで
防寒はほぼ出来たが、足元がかなり冷えてくる。夜景がきれいだった。手水舎で柄杓を持つと、柄がぬるぬるしている。凍っているのだった。開始まで少し時間があったので、食堂でかき揚げうどんを食べた。エビが大きく、美味かった。寒いだけに格別に有難かった。9:30から
放水が始まり、9時45分から手筒花火が始まった。これは火祭りの露払いみたいなものだろう。朱色の火花を見ているとお祓いを受けているようだった。10時に河村宮司を先頭に神官の方々が拝殿に上がられ、神事が始まった。下の神楽殿では朱色の装束を着けた神官による
奉納の踊りが始まった。極寒の中での作法を淡々とこなしている様は誠に頭が下がるほど凜としていた。四方に矢を放ち、邪が祓われた。
11時頃、本殿の奥から万年炎が運ばれ、火祭りの本番が始まった。身を刺すような冷気の中で炎が舞った。火の神がお出ましになったのだ。火は災いをもたらしもし、また人の役にも立ってくれる。踊りの所作は”ひょんどり”にも似ているので、無病息災、五穀豊穣の祈りも
込められているのだろう。寒い中ではあったが、貴重な体験であった。駐車場に戻る途中でいただいた熱い甘酒がまた有難かった。

日本の捕鯨文化(12月12日)

歌川国芳「巨鯨の背に乗る宮本武蔵」

あの浮世絵の巨匠・葛飾北斎や歌川国芳が捕鯨図を描いている。実に美しい。アメリカのかつての捕鯨は灯りを得るための鯨油が目的オンリーだったため、それ以外は捨てるばかりだったという。それに対して、我が日本国は鯨の捕獲後、食用ばかりでなく工芸品の素材としても利用するなど、”もったいない” ”有難い”の気持ちで鯨とつきあっている。供養をし、石碑までも建てている。日本人の心根は美しい。自然との一体感を生きているからだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8D%95%E9%AF%A8%E6%96%87%E5%8C%96


報徳社徒・鈴木藤三郎(12月10日)

鈴木藤三郎の肖像写真

一宮・小国神社がある遠州森町というと清水次郎長の子分・石松で有名であるが、もう一人忘れてはいけない人物がいる。偉大な発明家・実業家で報徳運動家でもあったその人の名を、鈴木藤三郎(安政2年/1855-大正2年/1913)という。幕末期に生まれ、28才の時(明治20年/1888年)苦心惨澹ののち氷砂糖を発明した。
それまで輸入に頼っていた砂糖の国産化を図り、祖国日本の貿易収支の改善に大いに貢献した。本日開催の西遠連合報徳社(中村雄次理事長、静岡県浜松市)の常会で周智郡森町の役場に勤めるM氏が鈴木藤三郎について講演をして下さった.。M氏は、神奈川県庁職員のJ氏と協同で鈴木藤三郎に関する研究書を刊行している。今日の常会の出席者(約20名)のほとんどの方が鈴木藤三郎の名前をご存じなかった。二宮尊徳翁の遺訓一万巻を、書生を雇い3年かけて2500冊に写本し、それを栃木県今市の報徳二宮神社に奉納したその人が森町生まれの鈴木藤三郎なのである。それを納める石蔵まで建造している。二宮尊徳の仕法に基き事業を実践し、それで儲かったお金で(自腹を切って)そういう文化事業を遂行したのである。報徳思想の柱は①至誠②勤労③分度④推譲であるが、これは。”推譲”の実践である。交響曲でいえば第四楽章・終楽章であり最後の仕上げであった。鈴木藤三郎の研究・顕彰事業が、報徳思想(江戸時代に生まれた社会還元型の経営仕法=日本型資本主義)実践の輪の広がりにつながる触媒になると強く感じた今日の西遠連合報徳社常会であった。

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