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「坂の上の雲」③(令和3年8月24日)

秋山真之(1868-1917)

明治維新により王政復古が成ったと言われているが、その原動力となった国学は明治初期の教育カリキュラムには入ってなかった。なるほど、と思う。尊皇攘夷の精神的支柱は孝明天皇の御製にある。
矛取りて 守れ宮人九重の 御階の桜 いま盛りなり
開国の妨げとなる孝明天皇は暗殺され、明治新政府の方針に異を唱えた西郷隆盛は下野し薩摩に帰った。そういった動きを策謀した勢力が旧弊排除の方針の下我国の伝統文化のエッセンスである国語や国学を顧みなかった。司馬氏は「坂の上の雲」の第二章「真之」の中でこう記している。~この当時、中学校がどの県においても最高学府であったが、教授内容というのはきわめて簡素であった。科目は、漢文、英語、数学、理科(物理、化学、博物)、図画、体操という六科目であった。・・・真之の父の秋山久敬は「人間の道を教えんけれ、いけんの」とこぼしていたが、そのことばどおり修身などは旧弊であるとしてどの中学校でも設けられなかった。全国を風靡している思潮は「旧弊打破」であり、この旧弊のなかに国語もふくめられ、その種の科目はいっさい組み入れられていない。~

「坂の上の雲」②(令和3年8月23日)

伊予松山城

この小説の主人公を軍人の秋山兄弟と俳人の正岡子規に絞った司馬遼太郎の着想は素晴らしい。伊予松山のことが描かれていて、また母校松山東高校(子規や秋山真之が通った松山中学の後進)の大先輩にもあたるので関心度倍増である。しかもこの作品の作者は大学(大阪外国語大学,現・大阪大学外国語学部)の先輩でもあるしで、無邪気ながらも誇らしい。大学3年の時(1972年)の下宿先(大阪府八尾市教興寺)のすぐ近くに司馬遼太郎のご実家(福田家)があったりした。郷里松山の事が懐かしくなったこともあり18年振りにこの長編を読み返している次第である。
冒頭の章「春や昔」の文体は夏目漱石の「坊ちゃん」のそれを彷彿とさせる。読み返していると他にもいろんな発見がある。
司馬氏がこの小説を構想したのは、恐らく明治100年(西暦1967年)を意識したからであろう。と思いきや、1968年から1972年まで1296回産経新聞に連載されたとのことである。当時は何も分からず朝日新聞を購読していたのでそのことは知らなかった。
~まことに小さな国が,開化期をむかえようとしている。その列島のなかの一つの島が四国であり、四国は、讃岐、阿波、土佐、伊予にわかれている。伊予の首邑は松山。~ 見事な滑り出しである。
「坂の上の雲」(令和3年8月22日)

正岡子規の肖像写真、明治33年に撮影

産経新聞に連載されたこの小説が単行本化されて人気を博したのは昭和53年(1978)。明治の時代、明治の頃の日本精神を描くのに伊予松山に生まれた俳人と軍人とを主人公に選んだのは作者司馬遼太郎の面目躍如といったところであろう。新聞への連載文体は読み易い。なだらかな小川の流れの様である。その文体の中に明治の日本精神の骨格をセットした文才と気概は大したものである。
一度通読したことはあるが、最近の枕頭の書として文字通り枕元に置いてある。
春や昔 十五万石の城下かな
有名な俳人・正岡子規(慶応3年-明治35年)の郷里松山を詠んだ俳句である。のちに浜松に立ち寄った時(明治28年)には、
馬通る 三方が原や 時鳥 と謳った。情景描写の中に心情がうまく読み込まれている。明治人のスケールの大きさも感じられる。ちなみに、右の写真を基にした油彩肖像画を昨年11月に見た。子規の母校松山中学の前身である藩校・明教館の建物が今はその後身・愛媛県立松山東高校(私の母校)の構内に移設されていてその中に掲げられている。
従軍カメラマン柳田芙美緒(令和3年8月15日)

ありし日の

静岡歩兵第三十四聯隊の従軍カメラマンだった柳田芙美緒氏はマルチな人物だった。カメラマンであり、そして詩人だった。写真ばかりでなく詩文数多く遺して逝った。
㈠今さらに 忘れた悲しみをと 誹りの言葉を聞くかも 知れない 
このひと時 今ひとたび しみじみと想いだしてやって もらいたいと思う
このまま 忘れ去っては この人達が あまりにも 可哀想だから
思えば 苦しい 忍苦の断層だった 

㈡とにかく 私と共に歩いた 数万の人々は かえらない 彼らは 祖国の栄光を 信じ戦った
彼らは 生き残る人々のために 死んだ その人たちの かなしみを背負って 生きたいと思う
彼らの 血の流れの 川にまたがって 橋ができた 平和のかけはしだ 血と涙と骨粉を 
しきつめた 道路が出来た 平和のいとなみの 細い道路だ しみじみと想う 平和は尊い 
しみじみと想う 平和はありがたい

(三) 誠実で 勤勉で 純粋で 生きていたなら   すばらしい 建国の指導者であったろう 
あまたなる人々を 戦いで 失った  その身代わりとして 自分たちは 今 生かされていると思う
人を愛し 自分を愛し 祖国を愛することの 出来る限り 私は 戦争をにくむ




東京大学名誉教授 渡辺正氏と国際政治学者の藤井厳喜氏の対談である。約10分。
https://www.youtube.com/watch?v=X3OP0x0aZfs

国連という存在にはいかがわしさを感じる。
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