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ブログ

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海軍記念日(5月27日)

Z旗

今日は日露戦争における日本海海戦の日である。司馬遼太郎の「坂の上の雲」のハイライトである。東郷平八郎元帥率いる大日本帝国連合艦隊が対馬沖でロシアのバルチック艦隊を壊滅させ、日露戦争に勝利(=ロシアの植民地化、隷属化を
回避)した日である。戦前は「海軍記念日」であった。明治38年(1905年)のこの日13時55分、「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」の訓示のもと、Z旗の掲揚が旗艦・三笠に命じられた。大英帝国海軍・ネルソン提督がトラファルガー会戦の時にZ旗を初めて使ってから丁度100年後のことであった。ネルソン提督は勝利したものの艦上で戦死したが、東郷元帥は露天艦橋に立ったまま陣頭指揮し無傷でこの海戦に完勝した。
 ”敷島の 大和心の おおしさは 事あるときに あらわれにけり”(明治天皇御製、日露戦争の頃)
その40年後、ロシアには日ソ中立条約を破棄され、北方領土を不法占拠された。そして、その状態は今もなお変わらず、そればかりか、竹島、尖閣諸島など韓国やシナに実効支配され、あるいは脅かされている。


ベネチアの夜(5月26日)

都留文科大学教授で文芸評論家の新保祐司(しんぽゆうじ)氏が滞在先のベネチアから”ベネチアゆかば”というエッセーを産経新聞に寄稿している。旅先で書かれた文章には、ことばのひとつひとつに羽が生えているようでのびやかだ。この町のフェニーチェ劇場でマーラーの「交響曲第6番」を聴いた事を披露した後、さらに8年前に英国の古都カンタベリーで聴いた同じくマーラーの「交響曲第3番」に言及、その中に(第4楽章)挿入され、アルトソロによって歌われるニーチェの詩を紹介している。この詩は、スイスのシルスマリーアという高地保養地にある湖の畔に立つ石碑に刻まれている。夏休み(1985年)の旅行で一度訪ねたことがある。詩文は以下の通りである。
 
  O  Mensch!                    おお、人よ!
      Gib acht!                      注意せよ!
     Was spricht die tiefe Mitternacht!       この深い夜が語ることを!
     Ich schief!                      私は眠ってしまった!
     Aus tiefem Traum bin ich erwacht!      そして、深い夢から目が覚めた!
     Die Welt ist tief!                   世界は深い!そして、
     Und tiefer als der Tag gedacht!        昼が考えたよりも深いのだ!(筆者訳)

  新保氏の鋭さは、この詩から現代日本の社会状況を演繹しているところだ。
     曰く:”戦後民主主義とは、世界を「昼」だけにしようとしたものであった。そこ
     では、夜は過剰に明るくされ、世界は浅くなり、日本人の精神もさらに浅くな
     った。民主党政権とは、戦後民主主義の完成形態であり、その政権下の日
     本は、内政、外交、防衛などすべてがうすっぺらになってしまったのである。
      ” そして、”今回の大震災は、世界は昼が考えるよりも深いという真理に
      日本人を覚醒させるものであった。”と説き、さらに、節電で”東京の夜が
      暗くなったことは、その夜の中で、日本人の精神が深くなることへ導くの 
  ではないか。内村鑑三がいうように、日本人はもっと深くならなければ
      ならない。”と奮起を促す。ちなみに、氏のデビュー作は「内村鑑三」である。
      余談であるが、ベネチアには3度程行ったことがある。初回はハンブルクから
  車で行ったのであるが、スイスを経てさらにミラノから東進、着いたのは夜の
  9時頃だった。水上タクシーから周囲を眺めると、暗いというよりも黒かった。
  壁のように立ちはだかる漆黒の夜だったのを覚えている。新保氏のエッセーに
  書かれている通りである。

   
            


リヒャルト・ヴァーグナー(5月22日②)

今日は作曲家リヒャルト・ヴァーグナー(1813-1883)誕生の日である。高校1年生のときFM放送でバイロイト音楽祭の実況中継を聴いて以来ファンになったが、それが高じて1979年にヴァーグナーの生地ライプチッヒを夏休みの旅の旅程に入れたことがある。当時はまだ東ドイツだったので、”国境の町”でバッハの生地アイゼナッハ経由でライプチッヒに入ったが、ヴァーグナーの生家はもうなかった。そのあと、プラハ、ヴィーンを経て聖地バイロイトに移動、バイロイト祝祭劇場を見学し、Wahnfriedというヴァーグナーの邸宅を訪ねた。実際にヴァーグナーの楽劇を聖地バイロイトで聴く機会があったのは、1984年だった。「オランダ人」「タンホイザー」「マイスタージンガー」「ロ-エングリン」などがあったが、最後の作品”パルシファル”にいたく魅せられた。ヴァーグナーが立ち会えなかったこの作品の初演を聴き、その後の作曲活動の心の支えにしたのが当時23才のグスタフ・マーラー(1860-1911)である。昨日の関連となるが、クレー同様、ヴァーグナーもまた”さまよい人”であった。”さまよえるオランダ人”という作品は直接的であるし、また大作”ニーベルンゲンの指輪”にも”さすらい人”(Wanderer)が登場する。その不安定な心理が温床になっているヴァーグナーの作品群が生まれる原動力はちょうど真珠の形成過程に似ている。再来年2013年はそんな大作曲家の生誕200年の年だ。日本では、伊勢神宮の式年遷宮(20年に一回)と出雲大社の式年遷宮(60年に一回)が同時期に行われる。つまり、天津神と国津神とが同時に遷宮されるのだ。何かがブレイクスルーする年になるであろう。

パウル・クレー展(5月22日)

スイスのベルン郊外に立つパウル・クレーセンター

スイスの画家パウル・クレー(1879-1940)の展覧会「パウル・クレー おわらないアトリエ」が京都での会期を終え、今月31日より東京国立近代美術館で開かれるという。生涯で約9600点もの作品を生み出したが、それらは作家自身によって克明に記録され、目録として残っているという。今回の展覧会は、その制作のプロセスがわかるように展示されている。会期は7月31日まで。クレーの作品は、深海にもぐった時に遭遇するという、あるいはいくつもいくつも山を越えてたどり着いた神域で出会うような、そんな日常を超えた視点で初めて”観えてくる”ビジョンのような、そんな印象を持っている。ナチスがそんなクレーの作品を”退廃芸術”(Entartette Kunst"として取り扱い、犯罪人のように市中を引き回し、あげくの果ては500点ほど略奪したという。それは単にクレーがユダヤ人であったからだ。向こうの地の土着の人間は、”さまよい人”(Wanderer)をいぶかしみ、あるいは嫌悪するのだろう。惻隠の情などないのだろう。3年前にベルンのPaul klee Museumを尋ねたとき一番
惹きつけられたのは「青い花」(Blaue Blume)であった。

田植えの季節(5月21日)

田植えが始まった。昔は、近所どうしが順番に手伝いあって苗を植えたが(手植え)、最近は田植え機械を使って一人でやっている。誠に淋しいというか、つい笑ってしまう光景である。苗代である程度成長し大きくなった苗を抜き、束ねる。その作業をしながら、ベートーヴェンの「田園」の終楽章のメロデイーを口ずさんだりした。秋の刈入れまでいろんな作業が待ち構えている。それらをひとつひとつこなしてやっと実りの秋を迎えることが出来る。水があり、空気があり、適度な気温があるという自然(カミ)の恵みへの感謝が新嘗祭であろうか。秋祭りは、収穫に向けて皆で助け合ったからこそ盛り上がりがある。

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