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ブログ

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三島富士(12月29日)

三島市街から撮った富士

午前中、日本画家の栗原幸彦先生に同行し、小国神社に年末のご挨拶と来年四月の個展開催のご報告に伺った。打田宮司と約20分ほど歓談した後、栗原先生と別れ三島に向かった。快晴の日の新東名は快適であった。新清水IC辺りで富士山の素晴らしい姿が目前に迫ってきた。実に雄大である。夏の青富士もいいが、やはり雪を戴いた冬の富士山がいい。桜と並んで日本美を象徴するその姿の気高さに思わず息をのむ。新清水ICを過ぎて富士に至るまでの間、何度か側帯に車を停めて写真を撮った。
祝 2020東京オリンピック招致決定(9月8日)

東京都庁前、平成24年10月撮影

本当に良かった!ロゲIOC委員長が示したボードに2020 TOKYO の文字を見た時、目頭が熱くなった。日本人の誰しもがこの瞬間を待っていたのだ。招致運動に長期間携わってこられた数多くの方々の地道な活動が実を結び報われた瞬間だった。石原慎太郎・前東京都知事が蒔かれた種が、空気、水そして太陽の光という環境条件を自らの手で創出し芽を吹いたのだ。平成25年9月8日午前5時20分にその決定がアナウンスされた。歴史的な瞬間だった。
現代美術家・大竹伸朗(8月8日)

小林よいのり著「沖縄論」カバー(美術:大竹伸朗)

抽象画ではあるが、無機的ではない不思議な作風である。以前、もう20年ほど前のことだろうか、池袋の西武美術館で彼の個展を見たことがある。大竹伸朗、昭和30年(西暦1955年)東京目黒に生まれた行動派の表現者である。武蔵野美術大学を25才で卒業したが、入学してから一週間もたたないうちに休学して北海道に行ったり、ロンドンに行ったりと、衝動に忠実に行動している感があり、そこがいいのだろう。絵画にとどまらず、いろんなジャンルを手掛けている。7年前(平成16年)には、東京都現代美術館で大回個展が開かれた。その前年に出版された小林よしのりの「沖縄論」に彼の作品が使われている。この本のコンテンツにふさわしい作風である。つまり、イデオロギーを超えた次元を表象することに成功した作品である。
海洋船舶画家・上田毅八郎(8月6日)

スーパーリアリズム絵画の巨匠がご健在である。上田毅八郎氏、大正九年生まれで、今月30日で93才におなりになる。大東亜戦争には商船砲兵として出征し、6度乗船していた船が撃沈されたが、6度とも生還を果たした強運の持ち主である。敵の砲弾で右手の自由を失ったため、左手で訓練をし利き腕としながら軍艦や輸送船の絵を描き続けてきた。亡くなった戦友の、”上田、描いてくれ!”という声に背中を押され、まさにその方たちの鎮魂のために制作を続けてきたのである。その上田さんの書かれた“人生訓”を少し紹介したい。私の人生(仕事)の勉強、と題して: ・仕事の上手な人は其の裏を見る ・何時も同じ事をさせると能率が上がらなくなる ・仕事が大変だと思ったら人は使えない ・立身する人は素直である ・自分を可愛がっていたら人の指導は出来ない ・心しんから従順な人は実に威張って居る ・なまけ者は神を信ずる事が出来ない ・仕事が早く上手な人は時も上手に使ふ
豊田佐吉(8月2日)

森町の茶商・鈴木長十商店よりいただいた”日めくり”を愛用している。日ごとに、国内外の偉人の遺した名言を紹介しており、今日は明治・大正期の発明家・事業家の豊田佐吉翁(1867~1930)の”障子を開けてみよ、外は広いぞ”である。母親が夜なべして旗を織る姿を見て、作業を楽にして差し上げたい、という一心で織機の改善に取り組んだ。そしてそれまで海外の技術に頼っていた織物技術の国産化に成功、国益に大いに寄与したのである。明治天皇が交付された五カ条の御誓文にある、”知識ヲ世界ニ求メ、大ニ皇基ヲ振起スベシ”に即応するものである。
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