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聖者・横尾忠則(3月1日)

このポスターは私が日本楽器(現ヤマハ)に勤務していた時に、横尾忠則氏に制作を依頼して出来たものである。'78年の8月(27才の時)にドイツに赴任したが、その頃欧州市場用に開発されたオーデイオ製品のプロモーションのためだった。フランスのギュスタ-ヴ・ドレという版画家・挿絵作家による「聖書」とダンテの「神曲」より「天国編」の挿絵から引用されている。原作はモノクロだが、横尾さんが線描をダブラせ立体化(3D?)したうえで着色している。この手法は、モノクロの絵葉書に着色してカラー化する手法を高度化(木版画のように)した形で応用したものだ。オリジナル画を引用しながらも自分のオリジナル作品を創り、技法についてもオリジナルを精度アップし改善を加えるという、正に日本人が縄文時代以来培ってきた変換技術(convertion technology)の粋がこのポスターに見て取れると思う。固定のスタイルにとらわれず、ある時期が来ると変容(convertion)を遂げ、常に若々しさを保っている。話は飛ぶが、”常に若い”=”とこわか”は日本古来の神の道(神道)の基本で、伊勢の神宮(20年に一回)や出雲大社(60年に一回)の式年遷宮は建築技術や祭りの伝統を継承しながらこの”とこわか”の道を実践している最高の美の世界であるといえるだろう。横尾さんの創作手法はそこに通じるように思う。ちなみに、このポスターが作られて2年後に横尾さんは”画家宣言”をするのである
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英霊の声(2月26日)

75年前の今日、2.26事件が勃発した。陸軍皇道派による決起であったが、昭和天皇御自らの指揮により3日後には鎮圧された。皇道派であるのに何故昭和天皇に嫌われたのか?皇道派の行動の指針であった北一輝の思想は、天皇の進化を求めたというが、そんなことは不敬そのものである。決起した兵士の鎮圧にあたったのは、陸軍統制派の東條英樹元首相であった。三島由紀夫の「英霊の声」には、

富士山の日(2月23日)

富士川SA(下り)より見た富士山

今日は「富士山の日」である。また、皇太子殿下のお誕生日である。朝7時に起きると、ホテルの窓から雪化粧をした富士山がきれいに見えた。「三島の富士」だ。18世紀初頭に爆発した宝永山が中央の位置にあるため、富士山の欠点がカモフラージュされたように見える。三島からの帰り道には必ず富士川SAに立ち寄り、「富士川の戦い」に思いを馳せながら富士山を眺めることにしている。今日は、写真のようにきれいに雲がたなびき、絶好の富士見の日であった。

金目鯛(2月22日)

今夜は三島の「一休」という小料理屋でご馳走になった。刺身、タラの芽の天麩羅のあと、写真の金目鯛の煮付けが
出された。これは4人前である。この金目鯛は下田ではなく、伊東産らしい。昨年の夏、下田に10日間ほど滞在する機会が
あったが、刺身ほか金目鯛づくしだった。寿司屋でも金目鯛だった。酒は”出羽桜”と”高清水”。同行の方々と話が弾み、いつもより沢山たしなめた。宿に着くと、もう11時を回っていた。東横イン富士山三島駅前の6階、富士山が見える部屋を頼んであり、明日の朝が楽しみである。

「富士山の日」に向けて(2月20日)

静岡県立美術館館長・芳賀徹先生のご講演風景

2月23日は「富士山の日」である。語呂合わせに過ぎないと揶揄するという人もいるが、それは日本の伝統的な言葉文化と
しての”掛け言葉”であり、高度な遊び心から発想されたものである。そしてこの日は皇太子殿下のお誕生日でもある。それは偶然なのでなく、歴史の必然である。今日、静岡グランシップで開催された富士山の日記念「世界文化遺産特別講演会」を聴講した。冒頭に川勝知事と天野県議会議長があいさつをされた。お二人とも原稿など読まず、ご自分の言葉で含蓄豊かに話された。静岡県民であることを嬉しく感じた。川勝知事は山辺赤人の和歌を朗々と引用され、天野議長はかつて湖西市にある本興寺でご覧になった谷文晁の襖絵に言及された。お二人のその語り口に”本物の厚み”を感じた次第である。特別講演会の講師は静岡県立美術館館長の芳賀徹先生、”富士ー日本のマドンナ”という標題で葛飾北斎の「富嶽三十六景」の魅力をお話された。日本の江戸文化
への深い愛情が感じられるお話ぶりであった。

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