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井伊直弼公(6月2日)

井伊直弼公肖像画

自宅から車で10分。浜松市北区引佐町。大河ドラマで一躍全国に名を馳せた龍潭寺という禅寺がある。至近の田園の中に井伊家祖霊廟があり、その一角に幕末の大老、桜田門外の変(万延元年、1860)で斃れた井伊直弼公の歌碑がある。~わき出ずる岩井の水の底清み曇りなき世の影ぞ見えつつ~ 大老に就任する7年前に(1851)ご先祖の墓参に見えた時に詠まれた歌である。井伊家初代の共保公の霊、そしてその時代のことを偲んだものであろう。第13代彦根藩藩主・直弼公は文武両道の人であった。居合の名人であり、國學・和歌・禅・茶道・能など学問修業を遂げた。その生涯は、船橋聖一の原作を基に「花の生涯」という大河ドラマとして描かれた。東京オリンピックの前年(1963)で、尾上松緑が主人公を演じたのをうっすらと覚えている。享年45歳。ちなみに、墓所は世田谷区の豪徳寺にあり、安政の大獄で刑死となった吉田松陰の墓所から1キロも離れていないのが不思議である。
天白磐座遺跡(6月2日)

今日の午後、思い立って引佐の方へ。謂伊神社に参拝し、その裏手上方の磐座へ。古代の祭祀場らしい。巨石信仰なのだろうが、三輪山(奈良県)や粟が岳(静岡県)など山上にあるのが多いかと思うが、ここは小高い丘の上ではあるが、平地と言ってもいい位だ。風の吹き抜けが心地良く、お祓いを受けているような感じである。また、すぐ近くを渓流が流れており、清めを感じる。日常空間から離れた異空間であり、清められ元気づけられるスポットである。
國民の覺悟Ⅲ(6月1日)

さうして、大正天皇・今上天皇陛下の御稜威によつて、今や、國運はいよいよ進み、わが國は、東洋の平和をひとりで引受け、英・米兩國とならんで、世界中の最も大事な地位を占めたのである。
[されば、われら國民は、よくわが國體の尊さを辨へて,朝廷に忠誠をお盡し申し、すぐれた人々にならって修養をつみ、りっぱな國民とならねばならぬ。それとともに、今まで國運が開けてきたわけをよくふり返って見て、それぞれ自分の業にはげみ、一致共同してますます國家の富強をはかり、その上で、進んで世界の平和にも力を入れて、光榮なわが國史にいつそう光輝を增すやうにつとむべきである。
國民の覺悟Ⅱ(6月1日)

また仁徳天皇は、御みづから御節約になって、人民をあはれみたまひ、後奈良天皇は、御身のお苦しみを忘れて、國民の身の上をお案じ下さった。明治天皇が、照るにつけ、曇るにつけても民草をお思ひ下さったことは、今更申すもかしこいきはみである。
[國民世々の忠誠]わが國民は、かやうな御歴代の御盛徳をあふいで、世々忠實に朝廷にお仕へ申し、一身一家をすてて國家の為に盡した。藤原鎌足が、不忠な蘇我氏を除き、和気清麻呂が、ふるって國體を護り、菅原道眞が眞心をあらはし、楠木正成をはじめとする數多の忠臣が、身をほろぼして忠義を盡したなど、いづれも國民の手本を示したものである。
[文化の発達 國民の進歩 かやうにして、君臣の間は、おそれ多くも父子の情にも似て、ひろい帝國が、一家のやうに、おだやかに今までつづいてきたが、この間に、政治は進み、文化はますます開けていつた。かつては、天智天皇・桓武天皇が、外國の文化をお取入れになつて、政治を新になされ、近くは、德川光圀。本居宣長らが、わが國柄の源を明らかにし、國民の尊王心をよび起して、明治維新のもとを開いた。維新以来、明治天皇は、日夜、國運の進歩にひとかたならず大御心をかけさせられた。

國民の覺悟(6月1日)

尋常小學國史教科書、昭和11年文部省刊

教科書がひどい。何も暴力を使わなくても自分たちの思うように日本を赤化出来る。そう考えたようだ。教育現場が彼らの意のままに操られたきた。将来の日本のリーダーとなる小中校生が通う学校がそのターゲットにされているという。おぞましい。昭和初期の國史の教科書を開くとホッとする。右の写真がその表紙である。巻頭に「御歴代表」があり、歴代の天皇様が一覧にされていて御在位年間は皇紀で記されている。以下、最終章の第54章より~[御歴代天皇の御盛徳]①遠い昔のことをふり返って見ると、まづ、天照大神は、かたじけない神勅を下したまうて、わが國の基をお定めになり、その後、神武天皇が、その御旨をおうけつぎになって、はじめて天皇の御位に卽かせられた。それ以来、萬世一系の天皇は、三種の神器を皇位の御しるしとして、萬機をお統べになって、絶えず國の為に大御心をかけさせられ、それのみか、もったいなくも、慈母のやうな御なさけで、いつもいつも萬民をおいつくしみ下さったのである。かつて龜山上皇は、御身をすてて國難に代らんとすたまひ、孝明天皇も、ひたすら國難を救はんことを祈らせられた。
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