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二宮尊徳の報徳思想(12月11日)

掛川駅北口にある二宮金次郎像

西遠連合報徳社(中村雄次理事長)の12月常会に出席した。報徳訓の唱和のあと、大日本報徳社(掛川)の理事・加藤正智氏の講演があった。7年前から報徳のことを勉強し始め、今や報徳の関係の書籍を約150冊、二宮金次郎像(高さ20cm以下)を20体ほど収集しているという。税理士の仕事を引退後に研究しようと集めたというが、既に立派な研究者である。講演の項目は以下の通りである。
 1.日本の現況を憂う
  ・失われた20年 デフレ 失策 政治家と官僚の責任
 2.サッチャー元首相や土光敏夫に学ぶ
   3.歴史に学ぶ報徳との共通点
  ①上杉鷹山 ②石田梅岩 ③近江商人 ④豪商、財閥等の家訓の共通点
まとめとして、 
 ・老舗や継続企業は報徳経営(至誠、勤労、分度、推譲)、五常(仁・義・礼・智・信)
  を実践している。
   ・自己中心的社会 → 感謝、思いやりのある社会 人間力 報徳教育が必要
   ・報徳で、「ありがたい」「おかげさま」等を口癖に
☆報徳は日本再建に役立つ
ということで、若い次世代の方にも聞いていただきたい充実した内容であった。     また、掛川商工会議所報徳思想啓発推進委員会の中心メンバーとして、     ”掛川 報徳&金次郎クイズ”なるものを作り、市内の小学5,6年生を対象に配布、     応募を呼びかけている。昨日10日が締め切りであった。その設問のひとつに、”掛川駅前にある金次郎像は、どちらの手に本を持っているでしょう?” というのがある。この金次郎像は、明治天皇様が執務机の上に置かれていたもののレプリカである。元掛川市長の榛村純一氏が、市制?周年記念事業として苦心の末    設置したもので、掛川駅北口にある。     

富士山の表情(12月10日)

新富士駅の辺りで

上京時の新幹線の車窓から富士山が見えた。裾野が美しい。雲がたなびいているが、また日々その表情は変わっているのであるが、山岡鉄舟の和歌に詠まれた通りである。
 ”晴れてよし 曇りてよし 富士の山 もとの姿は変わらざりけり”
これは、世の移ろいに惑わされることなく、ものごとの本質を見極め不動の心をもって行動することの重要性を語ったものであるかと思う。それは、般若心経の”色即是空 空即是色”、あるいはドイツの文豪ゲーテ(1749-1832)の最後の作品”ファウスト”の最終幕と相通じている。
 ”すべて移ろいゆくものは比喩に他ならない” 
  "Alles Vergaengliche ist nur ein Vergleichnis"
  

戦艦大和(12月9日)

レイテ沖に停泊する戦艦大和(上田毅八郎筆)

戦艦大和を設計した技師の方の”造形精神”は素晴らしく雄大である。戦艦の建造は日本では21年ぶりであったにも拘らず、あれほどのスケールと性能を実現した。徹底した秘密主義で造られたゆえに、その存在は終戦まで一般には知らされていなかったという。その雄姿をレイテでみた方が浜松にいらっしゃる。船舶画家の上田毅八郎さんである。とにかくその大きさに驚いたという。日本に帰ってきてから「大和」であることを知ったという。
航空戦が中心になるであろうという時代になった頃に建造されたということで時代遅れと揶揄されることもあるが、後世に残した影響は大きい。日本独自の石油タンカー出光丸の建造が可能だったのも戦艦大和を造った技師が生きていたからだ。松本零二の「宇宙戦艦ヤマト」や、木村拓哉主演の映画「スペースバトルシップ大和」など、アニメや映画にもその精神は継承されている。
ちなみに、大和の公試が行われ46センチ砲が1.6トンの砲弾を放ったのが昭和16年12月7日。日本がアメリカに対して宣戦布告をしたのは実にその翌日であった。

十二月八日(12月8日)

新聞には一行の言及もなかったが、今日は「真珠湾攻撃」の日である。150年ほど前の国難(国ぶりの危機)は薩長連合勢力への政権移譲により免れたが、その手法としての近代化路線は軍備の増強路線でもあった。富国強兵は日本の文化防衛のために必要な方針であった。日本の文化とは、万世一系のご皇室を尊び、神(西洋のGodとは似て非なるもの)を敬い、先祖を崇め、そして国を愛する、という国ぶりを守るための戦いであった。結果として多大の犠牲を払い、今もなお本当の意味での独立を果たしていないが、また昨今の外交のていたらくを見ているとハラハラドキドキの連続であるが、そういう状況でも何かに好転の兆しを期待しなければいけない。 長渕剛の曲「JAPAN」や「親知らず」を聴いていて、まだ諦めてはいけないと思った。
  「JAPAN」より~ oh Japan! Where are you going?
                                  俺たちは まるで どす黒い油に
             まみれたペルシャ湾の水鳥たちみたいに
             息絶えだえ それでも 必死に 天高く飛び立とうとしてるのは  
             富の向こうに 何かを見つけたいから

  「親知らず」より~俺の祖国日本よ!どうかアメリカに溶けないでくれ!
             誰もが我が子を愛するように
             我が祖国 日本よ! ちかごろ ふざけすぎちゃいねえか!
             もっともっと自分を愛し 貫いてゆけ、
             銭はヨオ! 銭はヨオ! そりゃ ほしいけどヨオ!
             何ぼ積んでも 何ぼ積んでも 譲れねえものがある

 2年くらい前だったろうか、この”国民歌手”が映画撮影用に造られた実物大の戦艦大和の甲板で「ヤマト」を歌っているの
 を聴いたことがある。


アマデウス(12月7日)

晩年、といっても35歳の短い生涯であったが、モーツアルトは経済的に困窮の極みにあった。スポンサー的立場にあったザルツブルグの大司教との軋轢がその遠因にあったのだろうが、自らコンサートを企画、運営をも自前でやらなければならないほどであった。写真はその時の入場券である。自宅のすぐ近くのレストランを借りて数回のコンサートを開いたのであるが、その旨を謳ったレリーフを飾ったレストランは今も残ってる。死の床でも、依頼を受けた「レクイエム」を作曲していたという。このチケットは金銭的な窮乏から抜け出し”創作の自由”をつかもうというモーツアルトの強い願望と意志を如実に象徴しているように思われる。
ヴィーンの冬は底冷えが厳しい。3年前の滞在の折には、10分位外を歩いても頭がきつく締め付けられるようだった。国立歌劇場で”ドン・ジョバンニ”がかかっていたので”スーへ”(ドイツ語で 探す の意”でチケットを入手。天井桟敷の席だったので、椅子から立ち上がらないと舞台は観えなかったものの、充分に楽しめた。モーツアルトの魂が近くにいるようだった。

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