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パウル・クレーとドイツ・ロマン派(12月28日)

ドイツ・ロマン派の詩人ノヴァーリス(1772-1801)

ベルンのパウル・クレー美術館はモダンな建物で、7年ほど前に完成した。3度目のベルン訪問時に中に入った。激しく雨の降る日だった。http://www.paulkleezentrum.ch/ww/en/pub/web_root.cfm
暗めの照明の中で「青い花」に強く心牽かれた。ドイツ・ロマン派の詩人ノヴァーリスの同名の小説に因んでいるのだろうか?かつてこのノヴァーリスの故郷(ヴァイセンフェルス)を訪ねたことがある。あれは当時東ドイツに位置していたライプチッヒの近郊ではなかったか?彼は「魔法的観念論」といった一種のオカルテイズムのドイツにおける祖であった。14歳で亡くなった恋人ゾフィーの墓参りをしていた時に体験した死者との交霊という神秘体験がそのきっかけであったという。「青い花」はその神秘世界の象徴である。写真はノヴァーリス縁の教会で買い求めた肖像画である。2枚買い、一枚は「ヨーロッパの闇と光」(イザラ書房)の著者で、R・シュタイナー研究家・日本人智学協会代表の高橋巌先生にお贈り申し上げた。

「食と環境の絵画展」at 知久屋(12月27日)

浜松市美術館館長賞受賞作品「キャンプでカレー」

食の安全性を徹底的に追及し、お惣菜の店、レストランを経営する知久屋・桜台店(浜松市西区)で目下標記の絵画展が開催されている。出展しているのは、ベルン(スイスの首都)と浜松市の小学生である。ベルンは画家パウル・クレーを生んだ町である。空気の澄んだ町に暮らしている子供たちは描線にスピード感があり、色に濁りがない。構図も端正である。これからの絵画展は、作品は何かを訴えるための通過点、構成要素であるというテーマ性のあるものに光があたるだろう。そんな感想を抱かせてくれたのだった。
入り口に近いコーナーで知久屋が自前の農園で栽培した有機野菜を売っていたので、大根と春菊を買った。数年前から株式会社知久は農業分野にも進出し、まずは野菜の栽培から始め、自社で使う野菜は100%自社の農場で栽培・収穫したものを使うという。知久社長の志は高く、食の安全性との取り組みはもちろん、日本の食糧自給率の向上にも寄与したいという。ちなみに、知久家は信州飯田に城を構える武将の流れで、ご先祖は諏訪大社に三重の塔を寄進したり、武田家と一線交えたりと、信仰心に篤くまた独立自営の気概に溢れたお家柄のようである。

「酔って候」と坂本竜馬(12月26日)

黄桜のカップ酒「ふく酒」を買ったところ、すぐ横に土佐鶴の「酔って候」があった。徳川慶喜公に大政奉還を建白した土佐の山内容堂公が酒をことのほか好んだことに因んでこの名前が付けられたという。1863年下田の宝福寺で勝海舟は山内容堂公に謁見し、坂本龍馬の脱藩の罪免除を懇願した。容堂公は勝海舟が下戸であるのを知りながら、朱の大杯を渡し酒を勧めた。飲み干したなら、龍馬の罪を免除してもよい、という。勝がそれを飲み干したのはいうまでもない。赦免の証として容堂公は自らの白扇に瓢箪の絵を描き、賛を付けた。曰く「歳酔三百六十回、鯨海酔候」。龍馬はこの間近くの住吉楼という遊郭で待っていたという。龍馬29歳のときであった。その後龍馬の維新回天の活躍が始まる。黄桜に付いていた”ふく”を土佐鶴「酔って候」に入れて燗をつけた。気合が入るうまさだった...。

”河童ドキア”(12月25日)

米の文化を育む稲穂の波(浜松市北区都田町、筆者撮影)

「米米CLUB」のリーダー・カールスモーキー石井こと石井竜也が1995年に映画「河童」を制作した。日本に伝わる河童伝説を題材にして、親子の絆、友情、地域の共同体などを描いた作品だ。ロケは石井氏出身の北茨城で行われた。その現場を'96年2月に訪ねたことがあるが、日本にもまだ昔ながらの素朴で美しい田園風景が残っているのを発見し感動したことが
思い出される。今から思うと、あの映画のテーマは『日本』だったのではないかと思ったりもする。明治以来の近代化路線、大東亜戦争敗北後の経済復興/高度経済成長路線によって変貌する日本の姿にある種の違和感を持ち、時代が変わっても大事に守っていかなければならないものを作品の中に”タイムカプセル”として表現したのではなかっただろうか?ドイツやフランスという異国の環境下で10年以上も生活した身にとって、この映画は”日本回帰”のための大事なきっかけとなったように思う。感謝したい。
石井氏は本来画家志望で、文化学院で学んだ。造形のヒントを自然の中に求める。映画制作プロダクションの名前を”CAPPADOCIA"としたのも、トルコの名勝”カッパドキア”を訪れた経験に基いているのかも知れない。

トルコ航空機。白と赤の配色が美しい。赤は太陽、白は月...。

もう25年前のことになるが、イランに住んでいた日本人に危機が訪れた。イラン・イラク戦争の最中、イラクのサダム・フセイン大統領は「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶすべての航空機を撃ち落す」と世界に向けて警告を発した。日本政府の要請に応えたのはトルコの航空機だった。日本人215人を乗せたTurkeyの航空機がトルコ領空に入ったのはタイムリミット直前だったという。イスタンブール空港に着いた(たった今”飛んでイスタンブール”という庄野真世の歌が有線で流れ始めた。何という共時性!)日本人の耳に入ったのは、"Welcome to Istanbul"というトルコ航空の機長のアナウンスだった。このトルコ航空による勇気ある行為は、以前に日本人に助けられたことに対する恩返しであった。明治23年、トルコ皇帝が日本に派遣した特使一行を乗せたエルツール号という船が和歌山沖で遭難、特使を含む518名は死亡したが、地元の村民が死を免れた69名を必死の救護と献身的な介護により救い、明治天皇の命により無事トルコまで送り届けたのである。この美談はトルコの教科書に載り、100年経った後にもトルコの人々の記憶に残っていたのである。ちなみに、当時日本航空は
日本政府の要請を断ったという。そういうメンタリテイーの温床になっているもの、それが今日の日本全体を危機に追いやっているように思う。

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