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「第九」の季節(12月17日)

宮澤賢治の手帳より

今日17日は楽聖ベートーヴェン(1770-1827)の生誕240周年の日にあたる。日本ではこの季節になると、各地で「第九」が演奏され、師走の風物詩になっている感がある。一年の締めくくりのとき、新しい年に向かって羽ばたこうという気持ちを盛り上げてくれるのだろう。この交響曲の最終楽章ではドイツの詩人フリードリッヒ・フォン・シラーの「歓喜に寄せて」という詩が歌われる。1989年のベルリンの壁崩壊後にこの曲がバーンシュタインの指揮で演奏された。シラーの詩の原題は「自由に寄せて」(An die Freiheit)であったが、このときまさにその詩にふさわしい場面で「自由に寄せて」と謳われたのである。何かの節目にあわせてこの曲が演奏されることのようだ。ベートーヴェンを深く尊敬していたリヒャルト・ヴァーグナーはドイツのバイロイト(バイエルン州)に専用のオペラ劇場を得たが(1876年)、その祝祭演奏会(Festspiel)の開催はいばらの道であった。第二次大戦後6年してやっと再会したが(1951年)、そのときに最初の演目として演奏されたのがベートーヴェンのこの「第九」であった。指揮はヴィルヘルム・フルトヴェングラー、バイロイト祝祭歌劇場管弦楽団であった。ちなみに、宮澤賢治はレコード会社から感謝状を送られるほどSPレコードの収集家であったが、このベートーヴェンの「第九」ノレコードを持っていたかどうか...。

巨匠小澤征爾のNY公演(12月16日)

ヨハネス・ブラームス(1883-1897)

今年初頭から病気のため活動をストップされていた小澤征爾氏の復帰第一弾。手兵サイトー・キネン・オーケストラを率いてのNY公演である.。現地時間で14日の夜だから、日本の15日のお昼前だ。曲目はブラームスの「交響曲第一番」、会場はカーネギーホールである。21年の歳月をかけて完成された(1876年)この曲は、指揮者ハンス・フォン・ビューローによって”ベートーヴェンの交響曲第10番”と評された。重厚で荘重なこの曲にも、その第四楽章にはベートーヴェンの「第九」の「歓喜のメロデイー」を連想させる、今年生誕100周年の黒澤明監督の「赤ひげ」のテーマ音楽の下敷きにもなった、美しいメロデイーが挿入されている。それがどのように演奏されたか、興味あるところである。
ちなみに、小澤征爾氏のお名前は、板垣征四郎(元関東軍参謀長、陸軍大将、明治38年/1885年~昭和23年(1948年)と
石原莞爾(元関東軍参謀、明治22年/1889念~昭和24念/1949)のお二人の名前に因んでいるという。

毛利庭園(12月15日)

上空から見た毛利庭園

吉良邸へ討ち入り武士の本懐を遂げた赤穂浪士は細川家、松平家、毛利家、そして水野家の四家へのお預けとなった。そして翌年2月に切腹したのである。4年ほど前に六本木ヒルズにある弁護士事務所を訪れたとき、毛利庭園を通りかかりそこの案内標識でそのことを知った。毛利庭園は江戸時代の大名が美を追求し、それを格式の高さにしたことをうかがわせる貴重な歴史遺産である。城郭建築や庭園、絵画、工芸品など、江戸の美の文化をもっと観たいものである。
ちなみに、乃木元陸軍大将は、この庭園がある毛利藩上屋敷の侍屋敷でお生まれになったという。

十二月十四日(12月14日)

関が原古戦場跡(筆者撮影)、この100余年後事件は起きた

関が原の戦いから約100年を経て、元禄の平和な世の中が続いていた。その平和の空気を破る事件が江戸に起こった。 赤穂浪士の吉良邸への討ち入り事件である。あの討ち入りの場面は雪がなくては盛り上がりに欠け、艶消しであろうが、12月14日は旧暦にて、新暦では1月18日であるからして、充分に冷え込む時候である。 
NHKの大河ドラマがこのテーマを選んだのは、時あたかも昭和天皇様が開会宣言をなさった「東京オリンピック」が開催された昭和39年(1964年)であった。この大河ドラマのテーマ音楽は芥川也寸志の作曲である。モーリス・ラベルの「ボレロ」を下敷きにしているようでもあるが、浅野内匠頭長矩の辞世の句のトーン に通底するような”しんとした”調べであり、リズムの刻みがドラマの進行を彷彿とさせ、またたたみかけるような終わり方が切腹という自然死の対極にある死に方を暗示する昭和の名曲である。 
 ”風さそう 花よりもなほ 我はまた 
             春の名残を いかにとかせん”

家康公愛飲の忍冬酒(12月13日)

"地場産品にこだわった自分たち独自の商品”を作ろうと浜松の酒屋さん24軒が集い”遠州夢倶楽部”を結成(平成5年、1993年)。あれこれ暗中模索、試行錯誤するうちに 75歳まで現役長寿をまっとうされた家康公ご愛飲の”忍冬酒”なるものに出くわした。江戸時代には浜松名産として参勤交代の大名たちが土産として買い求め大いに繁盛し、唱和18年(1943年)まで実に400年以上も続いたという。その幻の酒、いうなれば薬用酒であるが、その復刻に挑戦し、平成9年(1997年)暮れ復活第一号が完成。その後製造元の関係で一時中断したが、新しい製造元で新・忍冬酒が平成16年(2004年)春に完成。その中心メンバーだった西澤酒店に立ち寄ったのがご縁で、家康公をご祭神とする久能山東照宮への奉納を提案、段取りを付けさせていただいた。どうせならと、家康公ご生誕の日(旧暦12月26日は新暦でこの年は2月4日だった)に奉納と相成った。落合宮司さんにも大変喜んでいただいた。
  忍冬酒について詳しくはこちら→ http://www.asaichi.info/nindou/
あれから6年、今年のお歳暮にと思い都田町(浜松市北区)の西澤酒店に出向いたが、あいにく完売とのこと。来春桜の咲くころまで待たなければならないという。残念...。

 

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