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梅雨の花・紫陽花(6月11日)

紫陽花の季節だ。群生するもの、数株だけのもの、そして一株だけのもの、さまざまであるが、雨が激しくあるいはしとしとと降るときいずれも彩りを添えてくれる花だ。色も土壌の質により異なる。和歌にも詠み込まれているようだ。ただ、万葉集には2首のみとのこと。そのうちのいとつ。、・言問はぬ 木すらあち”さい 諸弟(もろと)らが 練りのむらとに あざむかれけり(大伴家持)

花言葉は、"移り気”、”辛抱強い愛”、”元気な女性”など、勝手な表現が被せられている。なお、本来の呼び名は”あずさい”で、真の藍色が集まっている花、ということらしい。写真は変種のようだ。
 
 

明治の教育(6月10日)

明治25年(1892年)出版の小学校用「帝国小史」

以前ある骨董市で買った「帝国小史」という教科書を読んでみた。明治25年(1892年)の発行である。日本は世界の中でまれに見る良い国であるという書き出しである。”凡そ世界にある国々の数は多けれども、我が日本ほどよき国はなし。気候は、あまり寒くもなく、また暑くもなく、地味ゆたかにして、多く米茶桑などを産す。我が国の人は、昔より武勇をたっとび、忠義の心あつくして、一たびも外国に無礼を加えられたることなし、されば、天皇陛下の御ちすち”は、開闢の昔より今日に至るまで、連綿としてますます栄えたまえり。かかるよき国はいづこをさがしても、我が日本の外には、決してあることなし。されば、此国に生れたる我等は、まことに幸の身といふべし。” どうだろう、大東亜戦争に負けて後は、外国勢力から無礼を
されてばっかりである。
浜松木櫛(6月9日)

ことまち横丁の売店の一角、4代目松山順一氏の作品が並ぶ。額に入っているのが「富嶽櫛」

白州正子著「日本のたくみ」(新潮文庫)の中に浜松の櫛職人・松山鉄男氏(3代目)が紹介されている。”目きき”白州正子氏の目にかなった東海地区ではただ一人の「日本のたくみ」である。元目町(浜松城の近く)にある松山氏のお宅を12年前に訪ねたことがある。鉄男氏はお体を弱くされ病床の身であられたので、奥様が応対に出られた。部屋の鴨居には、鉄男氏が手がけられた縄文以来の櫛の名品の数々がレプリカとして飾ってあった。黄楊の櫛を1点譲っていただいた。2年前に久方振りに元目町に伺うと、家は新築されご長男の代になっていた。鉄男氏も奥様も数年前に他界されていた。順一さんが4代目として木櫛の伝統手法を継がれている。今朝小国神社(静岡県周智郡森町)に参拝したおり、第一鳥居横の”ことまち横丁”(鈴木康之社長)の売店の一角で順一氏の作品を見ることができた。同神社の社務所裏に”いすの木”という非常に硬い材質のご神木があり、故あって伐採された枝を使って制作されたものだ。鉄男氏の頃からのご縁なのだろう。中でも目を引かれたのが、”富嶽櫛”と銘打たれた、富士山の形を模した櫛である。精神性が感じられる名品である。”いすの木”は木の葉に「まゆ型の穴のある「から」ができ、風が吹くと「ひょう」という音を出すので”ひょうの木”とも呼ばれる(小国神社の説明板より)。小国神社のご祭神・大巳貴命はこの”ひょうの笛”を吹き、めでたく女神と契りを結ばれたようだ。枝打ちされたものから櫛が生まれ、それがまた新たな人と人との縁結びに繋がる訳にして、明治維新の頃江戸から浜松に移り住み、刀を冶工具に持替え新しい生活を築いた初代・助義氏以来の”浜松木櫛”の伝統手法が鉄男氏を経て順一氏(4代目)に継承され存続していることを大巳貴命様も喜ばれているに違いない。いやこの神様のご神徳に因るものかも知れない。

スペイン出身で「世界三大テノール」の一人 プラシド・ドミンゴさんが、今年4月の東京公演で(アンコールで)日本の唱歌「ふるさと」を日本語で歌ったという。3600人の聴衆も加わり大合唱となったという。美しい話ではないか...。ドミンゴさん地震1985年のメキシコ大地震で親類を失った経験があり、東日本大震災で被災した方々の気持ちがよく分かるという。日本の
大震災を知ったのは、滞在先のワシントンだったという。ドミンゴさんが総監督を勤めるナショナル・オペラでは公演前に何と「君が代」を演奏したという。親日家として知られ、日本での公演は既に20回を超えるという。4月の公演も、福島原発事故で海外の音楽家の来日公演がキャンセルされる中にあってのことだった。「震災の前に音楽が出来ることはほとんどないが、音楽はつかの間であっても人を幸せにできる。悲しみや苦しみを忘れさせることができる」と、また「いつの日か強い気持ちになれる日が来ると信じています」と話されたという。特別な意味が込められたドミンゴさんの「ふるさと」であった。音楽の翼に乗って人から人へと「真心」は伝わるものだし、そういう意味で音楽のもつ力は決して小さくはないと思った次第である。
唱歌 ふるさと①(6月7日)

一昨日(6月5日)、東京で「拉致被害者救出国民大集会」が開催された。集会のあと、都内をデモ行進があったが、シュプレヒコールばかりでなく、歌も歌いながらのデモ行進であった。大正3年(1914年)に尋常小学校唱歌となった「ふるさと」であった。何の罪もない大勢の方が北朝鮮に拉致され、今もなお遠く離れた家族を恋焦がれ、ふるさと・日本に帰る日を待ち望んでいる。ご家族も一刻も早い救出を切に願っているが、事態は一向に進展しない。明らかな国家主権侵害であるのに、日本は”力”を行使できないでいる。私達の命、財産を外的から守ってくれる国というものが溶解してしまっているようだ。そもそも国防力が弱まり、北朝鮮につけ込まれ始めたのは福田内閣のときであった。小泉元首相の恩師・福田赴夫首相は、”人の命は地球よりも重い”という名文句をのたまわってよど号ハイジャック犯と”取り引き”をしてしまった。同じような状況でも、
西ドイツの対応の仕方は違った。特殊部隊を使ってテロリスト達を射殺したのだ。国としての毅然たる対応であった。日本の場合は、一度の譲歩がその後の悲劇・惨劇を生む温床となったのだ。
この歌を日本語で歌い、東日本大震災の被災地への熱い靱帯を表現したスペイン人歌手がいる。世界の三大テノール歌手のひとり
プラシド・ドミンゴ氏である。
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