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34年前に北朝鮮によって拉致された横田めぐみさんのご両親・横田滋、早紀江ご夫妻は次のようなメッセージを寄せていらっしゃる。"全国の皆様 ここ数年に亘って進展のみられない拉致問題について国民全体が、早急な解決を強く望んでいるという事を全国一斉に統一の行動をとることで、アピールしたいと思います。是非お一人でも多くの方が「全国統一署名活動」にご参加下さいます様、お願い致します。”
されてばっかりである。
白州正子著「日本のたくみ」(新潮文庫)の中に浜松の櫛職人・松山鉄男氏(3代目)が紹介されている。”目きき”白州正子氏の目にかなった東海地区ではただ一人の「日本のたくみ」である。元目町(浜松城の近く)にある松山氏のお宅を12年前に訪ねたことがある。鉄男氏はお体を弱くされ病床の身であられたので、奥様が応対に出られた。部屋の鴨居には、鉄男氏が手がけられた縄文以来の櫛の名品の数々がレプリカとして飾ってあった。黄楊の櫛を1点譲っていただいた。2年前に久方振りに元目町に伺うと、家は新築されご長男の代になっていた。鉄男氏も奥様も数年前に他界されていた。順一さんが4代目として木櫛の伝統手法を継がれている。今朝小国神社(静岡県周智郡森町)に参拝したおり、第一鳥居横の”ことまち横丁”(鈴木康之社長)の売店の一角で順一氏の作品を見ることができた。同神社の社務所裏に”いすの木”という非常に硬い材質のご神木があり、故あって伐採された枝を使って制作されたものだ。鉄男氏の頃からのご縁なのだろう。中でも目を引かれたのが、”富嶽櫛”と銘打たれた、富士山の形を模した櫛である。精神性が感じられる名品である。”いすの木”は木の葉に「まゆ型の穴のある「から」ができ、風が吹くと「ひょう」という音を出すので”ひょうの木”とも呼ばれる(小国神社の説明板より)。小国神社のご祭神・大巳貴命はこの”ひょうの笛”を吹き、めでたく女神と契りを結ばれたようだ。枝打ちされたものから櫛が生まれ、それがまた新たな人と人との縁結びに繋がる訳にして、明治維新の頃江戸から浜松に移り住み、刀を冶工具に持替え新しい生活を築いた初代・助義氏以来の”浜松木櫛”の伝統手法が鉄男氏を経て順一氏(4代目)に継承され存続していることを大巳貴命様も喜ばれているに違いない。いやこの神様のご神徳に因るものかも知れない。
大震災を知ったのは、滞在先のワシントンだったという。ドミンゴさんが総監督を勤めるナショナル・オペラでは公演前に何と「君が代」を演奏したという。親日家として知られ、日本での公演は既に20回を超えるという。4月の公演も、福島原発事故で海外の音楽家の来日公演がキャンセルされる中にあってのことだった。「震災の前に音楽が出来ることはほとんどないが、音楽はつかの間であっても人を幸せにできる。悲しみや苦しみを忘れさせることができる」と、また「いつの日か強い気持ちになれる日が来ると信じています」と話されたという。特別な意味が込められたドミンゴさんの「ふるさと」であった。音楽の翼に乗って人から人へと「真心」は伝わるものだし、そういう意味で音楽のもつ力は決して小さくはないと思った次第である。