文化・芸術イベントやアート・絵画イベントの企画・運営ならアートフォースM&Kにお任せください。日本を 

サイト内検索 ホームページ制作・スマホサイト制作・CMS サイト管理画面

ブログ

82/104ページ 全部で519件中 406-410件を表示
5月4日(5月4日)

生命感溢れる柿の葉

今日は”みどりの日”という祝日であるが、いまひとつピンと来ない。”自然に親しむとともに、その恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ”という、もっともらしい趣旨ではあるが、そもそも、その成立の経緯が第一候補ではなく、代替案が採用されたものなのである。また、休日を減らさないための便宜的思惑もあったようだ。本末転倒である。 昨日は東京裁判開廷の日(昭和21年)であったが、今日はその膨大な実録フィルムを編集し、映画「東京裁判」を創った映画編集の匠・浦岡敬一氏の誕生の日である。氏は開国の町・下田市に生まれた。この映画が世に出たのは昭和58年(1983年)であったが、その時になって初めて明らかになった事実がある。それは、日本側のブレイクニー弁護人が「広島、長崎への原爆投下という空前の残虐を犯した国の人間に、この法廷の被告を「人道に対する罪」で裁く資格があるのか」という動議を述べた、ということである。その同時通訳はされなかったため、昭和58年になるまで国民も、マスコミも知らなかったのである。東京裁判の成立を根底から脅かす発言がアメリカ人の口から出たことの意義は大きい。
憲法のこと(5月3日)

藤原正彦先生の「日本人の誇り」(文春新書)を読んでいるが、次の文章にまずはっとした。”全体を貫く基軸を変えて一気苛成にすべてを解決することが美しい”。国家の方向性・基軸を決める憲法に即していえば、”改正”ではなく、現行憲法の廃棄→”自主憲法”の制定という手法であろう。東日本大震災の直後に書かれたこの本の序文は、春淡き朝 試練に立つ国を思いつつ、ということばで結ばれている。愛国の書である。 昭和21年5月3日、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)が開廷され審理が開始された。起訴はその4日前の4月29日、つまり天皇誕生日に行われている。日本を犯罪者に仕立て上げるための東京裁判が開廷された翌年の同じ日に現行の日本国憲法は施行された。昭和27年の天皇誕生日の前日に主権が回復したといっても、新憲法の内容はとても独立国家のものとはいえない代物だ。美しくないのだ!
八十八夜(5月2日)

立春から数えて88日目、今日は八十八夜の日である。一年を15日ごとに分ける二十四節気とは別のいわゆる雑節のひとつである。明治45年(1912年)の文部省唱歌「茶摘歌」は、それまで高級品であったお茶が普及し始める時期に出来た歌だった。”夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘みじゃないか 茜襷に菅の笠”などと諳んじている。この頃になると霜も降りなくなり、正岡子規も俳句に詠んでいる。
 ”霜なくて 曇る八十八夜かな”
最近の生活では霜を見かける機会がなくなったが、以前家事の手伝いで麦踏みをした時のバリバリという足元の音、感触が思い出される。八十八は”米”にもつながり、苗代のもみまきも始まる。また、八という数字は誠に縁起の良い数字である。
もうすぐ立夏である。
桜井よしこ講演会(4月30日)

「昭和の日」の翌日、下田市文化会館で”桜井よしこ講演会”が開催された。舞台上の横断幕には”幕末維新から戦後・日本の近代史について~この国に誇りと希望を”と書かれていた。①幕末維新から大東亜戦争まで②戦後の占領政策③共産党中国の尖閣問題と太平洋侵攻④東北大震災について が主な論旨であったが、桜井さん独特のしなやかで力強い語り口により、シリアスで重いテーマも難なく聴衆を引きつけ、実に充実した濃い90分であった。桜井さんは母国日本にしっかりと軸足を置き、外国とは対等に伍してゆくという姿勢を論旨の基本としている。それはゆるぎない強靭さを持っている。GHQの占領政策によって根絶やしにされたと思っていたかつての日本の美徳がまだ残っていたことが、今回の東日本大震災後の東北の被災者の方々の言動によって判明した、と指摘。また、被災地復旧に向けて黙々と職務をこなしている自衛隊隊員の皆さんの武士道精神を賞賛する。そしてご皇室の存在の有難さにも力をこめて言及された。そして最後に、小さな
活動は積み重ねることによって大きな成果を生むんだと、ひとりひとりが行動することを壇上から呼びかけられた。
昭和の日(4月29日)

昭和天皇のご崩御以来「みどりの日」という祝日であったが、平成19年(西暦2007年)より「昭和の日」と改められた。祝日には日本という国家の歴史と国民性が盛り込まれていてしかるべきである。従って、日にちが大事である。単なる休日ではない。戦後、そのあたりが占領政策として意図的に捻じ曲げられてきた。戦後65年が経過している訳だから、そろそろその辺りから脱却しなくてはいけない。憲法や教育、領土問題もしかりである。今日は、玄関に国旗を掲揚し9時少し前に出発、三島に向かった。鳥居禮筆の作品をこの町に住むS氏宅にお届けした。下田に着いたのは夕刻6時過ぎであった。3年前に
亡くなった映画編集の匠・浦岡敬一氏のご親戚筋が経営の民宿”田んぼ”(南伊豆の小稲)に投宿した。夕食は大層なご馳走であった。全世界の20億人が見たという”Royal Wedding"の実況中継を見ながら舌鼓を打った。ここのご主人によると、3月11日の津波は1メートルくらいで入り江には被害がなかったという。しかし、寝ている間に地震が発生した時の避難方法はちゃんと確認した。ちなみに、浦岡敬一氏の一番大きな仕事、業績は、映画「東京裁判」(昭和58年封切、上映時間:4時間)の編集だった。この作品により、氏は文部大臣奨励賞を受賞、編集という仕事の重要性を世に知らしめた。
82/104ページ 全部で519件中 406-410件を表示