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ブログ

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白隠正宗(3月7日)

昨年9月に三嶋大社で鳥居禮展を開催した時から気になっていた酒がある。沼津市の西方の原にある白隠酒造の”白隠正宗”である。昨日韮山からの帰途、鳥居前の小早川酒店でやっと買うことが出来た。この銘柄は、原に生まれた臨済宗中興の祖・白隠禅師(貞享2年/1685-明和5年/1768)に因むものである。昨年の1月に静岡県主催の「輝く静岡の先人展」で白隠禅師が駿河の原に生まれたお方であることを知った。「駿河に過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」と謳われたほどの名僧である。その墨蹟を三嶋大社の宝物館で見たことがある。骨太で大らかな筆跡でお人柄が偲ばれるようであった。ちなみに、白隠という号は、「富士山は常に隠れて白し」という意味だそうである。(余談であるが、靖国神社に酒を献上している静岡の蔵は、原の白隠酒造と磐田の土井酒造である)
今日の富士(3月6日)

富士川SA手前の富士

東名を使って三島に行く途中、由比のトンネルを抜けると雄大な(日本一高い)富士山が姿を見せる。右手には日本一深い駿河湾。ちょうどほどよい下りの坂道になっているのも演出めいていて良い。富士川SAで10分ほど富士山をみながら休憩。ここではいつも寿司を買って食べる。今日は長崎の寒鯖を美味しくいただく。旬の味わいが格別だ。三島のS氏のマンション5階から真っ白な
富士山が見える。”三島の富士”だ。富士川の富士よりも雪が多い。今日は風が強い。S氏宅をお暇して、三嶋大社の前を南下。下田街道である。NPOオアシスの会主催の講演会会場は韮山時代劇場。源頼朝公が流されていた蛭が小島は目と鼻の先である。そこからも富士山が見える。頼朝公は毎日富士山を見ておられたのだ。力を溜め、やがて旗揚げの時には、伊豆国一宮・三嶋大社で必勝祈願をする。その精神、胆力は日々の富士見によって鍛えられたのかも知れない。今日は啓蟄の日であった。そして、富士山にシャッポが被る日の翌日は天気が崩れるという。
薄墨の桜(3月3日)

「根尾谷の薄墨桜」の切手シート

河津桜がいま咲き誇っている。その濃い桃色は、花が葉に先行するという”艶消し”を見事に補っている。同じく葉が出る前に咲き誇る淡いピンク色の染井吉野ではこうはいかない。先月23日に三嶋大社で河津桜が咲きかけたのに出くわしたが、昨夕浜北の友人の庭では満開、絶頂を迎えていた。力強く、生きるたくましさと勢いを感じさせる。今日近くの郵便局で「根尾谷の薄墨桜」の切手を見つけた。ちょうど今、日本画家の鳥居禮画伯による「霊峰富士と桜展」を準備中というタイミングにぴったりなので早速シートを買った。写真ではなく、日本画家・伊藤嘉晃の作品が使用されている。太く逞しい幹が生命力のたくましさを伝えている。この世に名高く、日本の三大桜のひとつでもある「根尾谷の薄墨桜」は、蕾のときは淡いピンク色、満開のときは白、散り始めると淡い墨色と変容するらしい。第26代継体天皇の御手植えという伝承もあり、樹齢1500年余のエドヒガン桜の老木は大正9年(1922年)に天然記念物に指定された。しかし、戦後しばらくしてから衰弱し始め”余命3年”と診断された。その救済運動を展開したのが作家の宇野千代(明治30年/1897年~平成7年/1996年)である。昭和43年/1968年発行の雑誌「太陽」4月号に寄稿した「薄墨の桜」が発端になったという。宇野千代さん70才のときであった。
聖者・横尾忠則(3月1日)

このポスターは私が日本楽器(現ヤマハ)に勤務していた時に、横尾忠則氏に制作を依頼して出来たものである。'78年の8月(27才の時)にドイツに赴任したが、その頃欧州市場用に開発されたオーデイオ製品のプロモーションのためだった。フランスのギュスタ-ヴ・ドレという版画家・挿絵作家による「聖書」とダンテの「神曲」より「天国編」の挿絵から引用されている。原作はモノクロだが、横尾さんが線描をダブラせ立体化(3D?)したうえで着色している。この手法は、モノクロの絵葉書に着色してカラー化する手法を高度化(木版画のように)した形で応用したものだ。オリジナル画を引用しながらも自分のオリジナル作品を創り、技法についてもオリジナルを精度アップし改善を加えるという、正に日本人が縄文時代以来培ってきた変換技術(convertion technology)の粋がこのポスターに見て取れると思う。固定のスタイルにとらわれず、ある時期が来ると変容(convertion)を遂げ、常に若々しさを保っている。話は飛ぶが、”常に若い”=”とこわか”は日本古来の神の道(神道)の基本で、伊勢の神宮(20年に一回)や出雲大社(60年に一回)の式年遷宮は建築技術や祭りの伝統を継承しながらこの”とこわか”の道を実践している最高の美の世界であるといえるだろう。横尾さんの創作手法はそこに通じるように思う。ちなみに、このポスターが作られて2年後に横尾さんは”画家宣言”をするのである
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英霊の声(2月26日)

75年前の今日、2.26事件が勃発した。陸軍皇道派による決起であったが、昭和天皇御自らの指揮により3日後には鎮圧された。皇道派であるのに何故昭和天皇に嫌われたのか?皇道派の行動の指針であった北一輝の思想は、天皇の進化を求めたというが、そんなことは不敬そのものである。決起した兵士の鎮圧にあたったのは、陸軍統制派の東條英樹元首相であった。三島由紀夫の「英霊の声」には、
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