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ブログ

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今朝の産経新聞・正論欄に小堀桂一郎先生が寄稿されておられる。~昭和天皇の聖断を仰ぎ、ポツダム宣言を受諾する形で大東亜戦争の停戦を辛うじて成就したあの年の8月から76年の星霜が流れた。思へば長い年月だった。・・・日本国民の心理的被占領状態の克服遅滞に遅滞を重ね、未だに旧敵国の一部に対する隷属状況から脱却出来ずにゐる事に深刻な暗澹の情を覚えてゐる。・・・国民の近現代史観に或る広範な転換が生じ、所謂歴史修正の作業が着実に諸に就いた事を認め、それを再生の曙光と仰いでその方向への前進に望みを嘱す方が生産的であろう。・・・国の歴史を動かす摂理もその根源は実は人間の内面に存するという事を日本人が発見したのは鎌倉時代、13世紀初頭の頃である。我が先祖達はそれを道理と名付け、道理が指示する所を正確に読み取り、忠実に行へば歴史はその在るべき方向に進む、との認識を樹立した。
「田園シンフォニー」(令和3年8月3日)

ベートーヴェンの散歩道

YouTubeで好きな曲を聴ける、しかも画像付きで。テレビで放送と通信の両方を楽しめるとは便利な世の中になったものだ。今朝はさわやかな曲ということで、ベートーヴェンの交響曲第六番「田園」を選曲。この曲はいわゆる標題音楽といわれるもののはしりであろうか?
ベートーヴェンが38才の時に完成され、3番や5番のシンフォニーを含めいわゆる「傑作の森」を構成する名曲である。しかも型破りである。5楽章編成であり、しかも第3楽章から第5楽章までは切れ目なく続く。形式よりも表現する内容に重きを置くという意味で、いってみれば20世紀の初頭に現出する「表現主義」の音楽の分野でのはしりでもある。
中学校の半ば頃だったと思うが、音楽の時間にこの曲を鑑賞する機会があった。魅せられた。実家は農家で、田植えの前の苗取りを手伝いながらあの「嵐のあとの喜びと感謝」のメロディーを口ずさんだ。口ずさみながら苗取りをした。呑気な時代だった。苗田の水はひんやりとし、仰ぎ見る空は青く空気はもちろん澄んでいた。ちょうど東京オリンピック開催の年であった。
ベートーヴェンがこの「田園シンフォニー」の構想を練ったという場所を訪ねたことがある。ドイツに赴任してから数年後の夏休みの折だった。32才の時ベートーヴェンは難聴のことを思い煩い、絶望の淵に立った。ハイリゲンシュタットという所で遺書を書いた。その場所で過ごした時の体験からこの田園シンフォニーが生まれた。ヴィーンの市街地から20キロ足らずの郊外である。「嵐のあとの喜びと感謝」とは、ベートーヴェンが苦悩を克服したのちの心境をも如実に表現したものであった。Freude durch Leiden(苦悩を通じて歓喜へ)である。

瀧のコスモロジー(令和3年8月1日)

那智の瀧

パリから帰国した1992年の夏、「横尾忠則・飛瀧曼荼羅展」が熊野で開催されていたので観に行った。その時に那智の瀧を初めて見た。その前に鳥居が立ち、瀧がそのご神体であるのを知って衝撃を受けた。その姿も直下型の華厳の滝と違って霊体のような相を帯びていた。
それと同じような体験を1991年に南フランスで体験していた。夏休みに車で訪れたガバルニ―の瀧(落差422m)がその真下に立った時、落ちてくる水が霧状になってまさに霊体のようだった。那智の瀧もそのように見えた。異界というか超感覚的世界への誘いだった。
また那智寺の宝物館では横山大観の那智瀧図を観た。瀧の中央部が渦巻になっていた。


バッハの音楽(令和3年7月28日)

聖トーマス教会内のJ.S.バッハの墓

音楽の父と言われるヨハン・セバスチアン・バッハは、1750年の今日ライプツィッヒで65年間の生涯を閉じた。その墓はこの町の聖トーマス教会にある。ドイツに赴任した翌年の夏休みにこの教会を訪れたことがある。教会の中の床にその墓碑銘板があった。
初めてバッハの曲を聞いたのは、中学校の音楽の時間で「管弦楽組曲第2番」だった。そのEP盤を買ってもらったのを覚えている。アントニオ・ヤニグロ指揮ザグレブ室内管弦楽団の演奏だった。フルートはジャン・ピエール・ランパル。ただそれを聞くステレオを買ってもらったのは高校に進学してからだった。優雅というか、典雅な雰囲気に魅せられた。そのジャケットに使われていたのは、フリードリッヒ大王がこの曲のフルート部分を演奏しているシーンを描いた油絵で、その実物をベルリンの美術館で見ることになる。
バッハの曲の生演奏を聴いたのは、ハンブルクの聖ミヒャエル教会でのロストロポーヴィチによる無伴奏チェロ組曲だけである。バッハの作品にはBWV番号が付けられていて、全部で1087 曲もある。そのジャンルも多彩だ。BWV=Bach Werke Verzeichnis
今月20日にテレビを買い替えた時、これまでパソコンで見ていたYouTubeをテレビの大画面で見れるようになった。最初に接したのは、バッハのチェンバロ協奏曲BWV1052でバッハが50才過ぎの作品である。テンポが小気味よく、その音階の脳細胞への刺激がとても心地よい。ただチェンバロではなくピアノによる演奏となっている。
 https://www.youtube.com/watch?v=osg_WmeLxQk&t=14s



エーゲ海(令和3年7月28日)

ミコノス島

1981年の夏休みは、前半をギリシャ旅行、後半をバイロイト音楽祭で過ごした。今から思うととても贅沢な組み合わせだった。丁度40年前の事である。まだ30才だった。ハンブルクからフランクフルトまで約500Kmを車で移動。そこから空路アテネへ。計7泊のうち3泊4日を地中海クルージングに充てた。City of Rhodosという客船でエーゲ海の島々を訪ねた。空も海も青く美しかった。ロードス島→ティラ・サントリー二→ミコノス島→クレタ島を巡った。歴史の宝庫である。船内泊は楽しかった。朝夕の食事は船内で、昼食は訪れた島で。夕食の後はアトラクションの数々。いろんな国々の人に出会った。中近東に駐在している日本人家族やヴィーンからみえているご家族と仲良くなった。アトラクションの司会の方はきれいな女性で一度に6か国語を立て板に水のように喋った。日本語はなかったが。エーゲ海はエメラルド色に澄んでいた。
クルージングの前後2泊づつはアテネ市内及び近郊の観光を楽しんだ。日差しは強かったが、パルテノン神殿のふもとのアゴラの中はとても涼しかった。空気は乾燥していた。郊外に足を延ばしスニオン岬で風に吹かれた。海風は強かった。ポセイドン神殿の下の海は浅瀬でしばし泳ぎ戯れた。三島由紀夫が賞した「馭者像」のあるデルフィ博物館は閉館しており入館出来なかったのは残念だった。アテネから空路フランクフルトまで戻り、車でバイロイトに向かった。
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